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NEWS No.17050「新千歳空港国際アニメ映画祭 湯浅政明とサイエンスSARU

2017.11.10

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「夜明け告げるルーのうた」を中心に
 「DEVILMAN crybaby」を待ちながら

「夜明けを告げるルーのうた」は、クリエイティヴを被った羊である。

新千歳空港国際アニメーション映画祭とは、北海道最大の空港内にある映画館にて4日間開催される映画祭。国内外からゲスト招かれ、特別な作品の上映や、コンペティション作品の発表、映画に関してさまざまなブース等も空港内に展開。珍しい空港内映画祭だ。

今年で4回目を迎え、今回は11月2日から5日まで開催された。その中のプログラムのひとつが2日目15時からの「特集 湯浅政明とサイエンスSARU」。本プログラムは特に注目を集め、開場前から行列ができていた。その内容は「夜明けを告げるルーのうた」の上映と、新作「DEVILMAN crybaby」を中心とした湯浅正明とプロデュサーらを交えたトークである。

簡潔に行こう。まず、あらかじめ言っておきたいのは「夜明けを告げるルーのうた」(以下、ルー)は「君の名は」(以下、君の)とはまったく異なる作品だということである。その点は聡明なみなさまはとっくにおわかりなのだろう。だが、僕は最初わからなかった。だから比べてしまった。類似点が多いと感じたのだ。

思春期の主人公たち、田舎の光景、不思議な設定、後半のスペクタクル。似てるじゃないか。しかし「君」を見本として「ル」を見るのはまちがっている。根本が違うものを比較して優劣を論じても意味がない。その理由を書いていこう(以下、映画の内容に触れますのでご注意を)。

「君の」は基本「ボーイミーツガール」(いや逆か。まぁいい。意味は同じ)の話である。高校生という「オトナに近い思春期」の2人が恋心をベースに、切なさも残る話に仕上がっている。その軸が大ヒットの要因だと僕は思う。もちろん、作画の巧みさや、田舎の光景は魅力的だが、軸は誰もが共感しやすい若者のラブ・ストーリーである。そこに男女入れ替えの不思議、謎とスペクタクル(パニック)という、わかりやすく受ける要素がわかりやすく、つまっている。これは嫌味ではなくて、そこがキチンと芽が出て、おもしろい作品になっている。僕もおもしろかったし、ヒットも理解できた。

対して「ルー」はどうだろう。そう、よく考えると「ルー」は「君の」とは軸が違うのである。主人公と同世代で、恐らく主人公に恋心を持つ女の子がいるが、その子に対して主人公は最後まで恋については無関心である。さて。では人魚であるルーが恋愛ヒロインなのか?といえば、ルーの姿は僕の印象では、幼稚園または小学生低学年くらい女の子のイメージであり、恋愛対象として主人公とつながっているとは考えにくい。

「君の」と違い、ルーの主人公は中学生でもあり「まだオトナには少しある思春期」という設定も、恋愛要素を遠ざけている感じる。しかしルーは主人公にとっても大事な存在なのである。同時に心をかき乱す存在でもある。では、ルーとはなにか?僕は主人公が出会った「希望のシンボル」のようなabstractな存在だと捉えた。でも、とっても親しい。自分を投影できる分身といっていいかもしれない。少なくても実存するヒトではない。この点で「君」とは決定的に異なる。

主人公は音楽作りが好きであるが、両親の離婚によって心を閉ざしている。自作の音楽をネットにアップするくらいだから、とっても好きなのは間違いない。でも、学校では「高校なんてどうでもいい」という態度をみせる。つまり、好きなことはあるが、将来のビジョンについてなげやりになっている。ノーフューチャーで社会に接点を求めない。

ところが、ルーという存在に出会うことによって、成長し、未来と社会との接点に目覚めていく。ルーは無垢で、明るく、そして音楽好き。それは主人公が自分の理想を投影できる存在、心を許せる存在。本作はその話である。僕は「ルー」が、また観たい作品になった。あくまで注目すべきなのは(とっても地味な)主人公なのだ。そこに集中すると本作は理解しやすい。

「君…」は2人の物語であるが、「ルー」はあくまで、主人公ひとりの内面の物語である。これは単純に倍数の問題ではない。ひとりと2人は違う。それは「ひとり」と「ふたり以上」は違うのだ。ひとりには関係性はない。しかし2人以上になれば関係性が生まれる。人間は誰もが関係性を求める。「君…」では、2人の男女が、身体も入れ替わるというファンタスティックな関係があって、2人のストーリーとなり、ラストのスペクタクルと2人の運命が描かれる。

対して、「ルー」も登場人物は多いが、それに惑わされてはいけない。主人公は常にひとりである。祖父とも父とも友人にも心を閉ざしている。いやまて、主人公には「ルーがいるだろう?」と思うかもしれない。でも、僕は主人公とルーの関係性は「君…」とは異なる。ルーは人間ではない。恋人でもないし、(異論はあるかもしれないが)友達とも言いがたい。ではなにか、ルーは「希望のシンボルなのだ」。とっても大切だが人間のような関係性を作れる存在ではない。

主人公=湯浅政明であり、彼は恋愛を求めない、求めるのはクリエティヴなのである。本作は、前向きにクリエイティヴに目覚めた少年の物語なのだ。

主人公の祖父のラスト近くの海でのシーンはまさに湯浅政明の真骨頂。なんかそれだけ本作を観た価値があった。 「マインド・ゲーム」を観て、続けるように「夜明けを告げるルーのうた」をみると理解しやすいのではないか。映画の良し悪しの評価基準はつきつめれば、ひとつにできる。「また観たいか、そうでないか」。僕は「夜明けを告げるルーのうた」はまた観たい作品である。

「DEVILMAN crybaby」は、そのニュースが知った時、まったく予測がつかない気がした。本イベントでは、残念ながら映像の紹介はなかったが、その代わり音楽の紹介があり、何曲かのサウンドトラックが紹介された。そこで窺い知れるのは、暗闇の中の非日常であり、そういったセンスは間違なく湯浅政明は信用できる。

ishikawa
Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 


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