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NEWS 報告「残すか、残さないか、ではなく生きた記録を残そう』

2019.05.02

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残すことは
残さないことを否定する
残さないことは
残すことを否定する

残すことは
良いことか?
残さないことは悪いことか?
だれが判断するのか

ちなみに
僕は判断できない
判断できる人もいると思う

おっと訂正
実は、僕が一番興味があるのは
現物よりも心に残すということだ

文化的な価値に着目して、古いものを現実に残すか、残さないか、というのが議論になる場合がある。そこで僕が考えるのは、有志のおこづかい程度で維持できるものなら、それはもう有志でね、今はSNSでもネット決済でもクラウドファンディングもある訳ですから、そいった便利なツールを使いながら、勝手に責任を持ってやればいいと思うのですよ。それはもう、これで終わるお話。

問題は、有志のおこずかいで足りない場合、そこからは2つ手段があって、民間のスポンーサーをみつけて、を営業して、言うことを聞いて手配すること。もうひとつは公的な予算を投入するように国や市に働きかけること。前者は、それもできればそれでいい。最初の有志のこづかいプランの延長線上にあると思う。問題は後者の場合で、国や地方公共団体で維持してください、という場合である。多くの、というかほとんどの地方公共団体は多くの予算がある訳ではない。そんな中で「残してくれ」というのはどこまでできるか?または必要なのか?

ここで、僕に意見があるかといえば、実はよくわからない。こういった場合、僕の中の方法論では、現物を残すとか、残さないというよりも、その「記憶」を残したいという方向に働くと思う。重ねて書くけど、それが有志とこずかいを出し合って維持できるものなら、自分でお金をだしたいと思う、しかし、そうでなければあとはどう「記憶」(メディア)として残すかということである。

僕はね、現物があるか、無いかというのは今後のデジタルの世界でそんなに重要ではないと思っている。重要なのは「記録」を存在させるということでる。しかも、生きている記録を。ほこりをかぶった記憶じゃない。いつでも目の前に現れる記録である。

異論はたくさんあると思う。実体のあるフィジカルな感覚は僕もとても理解できる。だから、フィジカルなところでは「破片」でも残っていればいいかなと思う。

壊されるから、もう終わり
では悲しい
生きた記録を残そう

 

ishikawa
Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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