NUMERO DEUX SPECIAL 012 MARCH.2000

Mika NAKANO 中野 美果

「コラボレーション」という言葉は、私が思うに、なんか表面的というか、恥ずかしい。使いたくない。「All is Love」は、英語だけど、オール、イズ、ラヴって全部わかるじゃない。日本語にすると、私なりには「愛の形は人それぞれ」。だから、愛しているってことを言葉で表現する人もいるし、写真で、空間で、音楽で表現する人もいるし。どんな表現方法があってもいいじゃないかっていうね。写真に言葉を重ねたのは、映像は言葉を持っているし、言葉は映像を持っているし、独立してあるものが1つのテーマで重なったときに、まったく正反対のプラスマイナスで何が生まれるだろう、というのがあるので。私は言葉を書いたけど、写真の善良性を殺そうと思った。殺すのがネガティブじゃなくて、写真が太陽なら、言葉は月でなければならないというか。こういうことはギャラリーでもできるだろうけど、ギャラリーって、無音で、お酒を飲まなくて、観た人が感想を言葉にしなきゃいけないような感じが、イヤでしょうがなかったの。全員が評論家になるのはイヤ。お酒を飲んで、なんか気分の流れがあるというか、写真の見方が変わったり、時の経過ごと感じたりっていうのが、こういう場所だとできるでしょ。客層? クラブにはクラブに来るような人しかいなくて、ギャラリーも劇場もそうで。パーツパーツで盛り上がってるんだけど、そこに「交流」がないのって、意味があるのかな?って思う。だから、普段クラブに来ない人が、こういう場で写真を見るとか、普段ギャラリーに行ったことがない人が、クラブで写真を見るとか。っていうので感じてくれればいいなって。この場は、うーん、偶然のふりをした必然なんじゃないかな。「いつか」っていうのは、すごく美しい言葉だけど、「いつか」は来ないから。それを今日にしたのは、そこにすごく無理があっても素敵なことなんじゃないかな。エリーに感謝してます。


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