NUMERO DEUX REVIEW



"ANNA+OTTO"(スペイン)
(監督フリオ・メデム)

だまされるところだった。

恋愛というものは、特に最初のころ、というより、ま最後まで、お互いの存在がほとんど重ならないまま終わることは、あると思う。極端にいえば、ほんの1ミリでも接点(本当に小さいもの)があれば、「つき合い」というのは可能だし、それが悪いことはないと思う。重要なのは、接点を広くするよりも、より鋭くすることなんだ。なにかも共有したって、それは単なる足し算であり、お互いの悪い部分が噴出してくるだけではないか。合鍵を渡すとか、自動車の家族限定を解除するとか、毎日会うとか(または、電話報告)、そんなことは些細なことに違いない。自分に正直にそして、お互いそれぞれセンスの良くなっていけば、お互いに共有の範囲は狭くてもいい。問題はお互いの心の接点を洗練させていくことだから。

「アナとオットー」。カップルの誕生から終焉を、ふたりの視点で描かれていて、非常に純度の高い「恋愛映画」に思える。でも、恋愛映画というのはその純度が高ければ高いほど現実から離れてしまう。なぜなら、僕たちは日常の雑多な生活のなかで恋愛のウェイトはそれほど高くはないからだ。ただし、純度は別として。残念ながら、この作品は、「恋愛」の純度を高めるプロセスがまったく欠如しているのではないか。 美しい画像、思わせぶりの演出にだまされるところだった。逆にたとえ、ストーリーになんの必然性がなくても、僕はレオス・カラックスの「ポーラX」が大好きだ。なぜなら、この作品には不思議な恋愛と共に、まるで疫病神のような「生活」に対する主人公の戦いがしっかりと描かれているからだ。


「シュリ」(韓国)
(監督 カン・ジュギ)

「あなたと過した時間がすべてだった…」(宣伝コピー)ならもっとその時間が観たかった。

封切りの時ずいぶん話題になり、劇場も大変混んでいて観そこなってしまった作品。今回、蠍座で観ることができた。観た感想としては、つまらない作品ではないが、マスの支持を得られるほどの強力なエンターティメント性があるかどうか疑問は残る。たしかに、アクションは決して多くはないが、密度は高く、迫力はある。ただその中味は単に「娯楽作品」としてかたづけるには重く、生々しさがあり、爽快感はあまりない。ストーリーは「かなわぬ恋」がテーマになっているが、恋人同士としての描写が非常に少なく、観るほうが感情移入しにくい。これは致命的な欠点だといえる。この作品で観るほうがもっとも感情移入できる部分は、「恋人同士」の部分なのだから、そこで感じさせておいて、一種悲劇的な結末を盛り上げるべきなのではないだろうか。液体爆薬によるテロ計画のアイディアはいいセンス。その線でもっとお気軽な娯楽作品にもできた感じもする。しかし、ラストからエンドクレジットまでのシーンは、まるでフランス映画のような良い雰囲気があり、それなら恋人同士の日常をもっと観せて欲しいと感じた。


L.S.D.(1996/フランス他)
(監督:ヨランド・ソーベルマン)

クラブに行こう

とてもミニマムな青春映画。でも、現実はこんなものかもしれない。主人公のハイティーンの女の子は夜友人と別れた後、バスを降りそこねて、終点の深夜の見知らぬ街のほうりだされる。まわりはなにやら危険な雰囲気。心細さに、少女は通りすがりの男の子にクラブに誘えわれてついていく。静粛な外界に比べて、その中はまさにハイでスタイリッシュな空間(MO WAX系?)。このクラブ描写がとにかくカッコ良い。巨大な廃ビルみたいなところにビッシリと人がつまっていて、ひとりひとりが楽しんでいて、なんとなつきあいできているような雰囲気がないのがいい。それにクラブが終わった後、ほうぼうにディバッグなどをかついで帰っていく様子とか、なんとなく雑談をしている光景とか、パーティが終わって、掃除でも始まりそうなクラブ終演の雰囲気がよく出ていると思う。ストーリーは少女とヤク中でケンカ賭博のファイターをしている男とのお話で、その辺が非常に淡白に進んでいく。ラストは、サラリと終わる。クラブシーンの気合いはいるまくりに比べて、ストーリーのミニマム感はけっこう良いと感じた。


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