Numero deux
Numereo Review




Numero Review 02 "ALPHAVILLE"
JEAN-LUC GODARD

1965/98min/BW/EDDIE CONSTANTINE.ANNA KARINA





フランスのヌーベルヴァーグ系の作品を中心に活発なヴィデオ再発リリースをおこなっているe/mレーベル。先日(9月)ゴダールの異色SF、「アルファビル」(1965)がリリース(同時にサントラも)されたのでレビューしてみました。サイトには詳しい情報や、通信販売もできるので要チエック。
e/mレーベル



アルファビルを撃て。

残念ながらもう終わってしまったがJR札幌駅の地下街改装がすすめらえていく過程は僕にはとても魅力的だった。具体的には札幌駅のバス・ターミナルを降りて地下鉄駅に行くまでのツギハギの工事中の地下通路を歩いていくのは、ちよっとした楽しみだった。白っぽく塗装はされているものの、ほとんど剥きだしの壁面。臨時通路を示す矢印のプレート。まだ、なにもセットされていない広告用パネルには、保護用のボール紙がセットされており、その感じがとても良かった。一番印象に残っているのは、現在では見ることができないと思うが、工事中の管理室らしき部屋だった。そこは四方が真っ白で複数のディスレイが碁盤の目のように並んでいる光景が、通路に面している工事中の壁面のわずかな隙間から、歩いている僕は見ることができた。あまりに良かったので、もう一回、前を通ってみた。そして、その後、僕は映画「アルファビル」との既視感を感じる。いつもそうだ。

ゴダールが自ら「半SF」と語る本作は、まったく「セットなし」で撮影されている。そして時代設定は1984年。これは、同名の未来の管理社会を描いたオーウェルの小説からとったのは明らかであり、ゴダールは素早くショートカット/コピーをしたのだろう。ゴダールの映画は、いつもうんざりするほど作中でストーリーはそれほど重視していない印象をうける。脚本が足りなければ本当に「本の朗読」でもさせればいいや、と思っているのだろう。ストーリーでゴダールの作品は語ることはできない。でも、ゴダールはいつも「語りたくなる」作家である。

アンナ・カリーナは、ゴダールとのコンビで様々なキャラクターを演じるが、本作ではその中でも例外的と思える異質な印象がある。例えば、初期作品「女と男のいる歩道」では明らかにゴダールのコントロールが効いている感じがしたし、後期作品「気狂いピエロ」では、「監督JLG」のディレクションを受けながらも自分自身のセンスを出す「意思」があるように感じられた。ところが、「アルファビル」の彼女はどうだろう!時には「ちいさな兵隊」ように素人臭さを感じるときもあれば、冷たくプロフェショナルな演技をみせることもあるという観ている側が非常に不安にさせる姿をみることもできる。そのゴダール映画には珍しい、自然と不自然を行き来するアンナ・カリーナの「不安定」さが、この作品を重要な魅力になっており、同時に管理社会「アルファビル」のあぶかっしさを表わしているとすれば、あまりにも「アルファビル」という作品は完璧ではないだろうか。
text by Shinichi Ishikawa


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