Numero deux
Numereo Review

WEEK END REVIEW






週末の映画はいいものです。ぼーつしながら、気合いをいれて観た作品をレビューしてみました。
text by Shinichi Ishikawa(Numero deux)




"π"

昔のサイレント映画を思わせるモノクロの質 感に、それあわせるようなアナクロなコンピューター機材の描写。神経質でスタイリッシュな観せかた、そしてサントラは、テクノの最前線…この「π」のこれらの構成要素はなかなかセンスはいい。しかし、おもしろくない。とにかく、ストーリーがかなり平凡(と僕には思えた)。それなら徹底して「映像の美学」を追及すればいいものを、どうもこの監督は、物語の大切にしたい気持があるみたいで、どうでもいいような話が進んでいく。

一応、サスペンス調なのだが、なんの緊張感もない。それだったら、少し不条理な部分があったら楽しめるのだが、そんな部分もなし。一番、印象に残ったのが主人公が大家に「 出ていってくれ」と怒られるシーンがコワかった。。主人公が頭にドリルを入れようとする場面は「あーあ」とうあきらめ感じで、予想とおりのラストでコケる。蟻がコンピュター基盤にからんでいるシーンとか間違いのないセンスの良さあるのだから、変の物語性の固執せず、多少矛盾が出てもいいから、スタイリッシュで押し通せばよかったのになぁ、と思った、期待がハズれた一本。

"pecker"

ひと昔前なら、排泄物を食べる、ような行為 は非常にアンダーグランドかつカルトなことだったといえる。しかし、現代なら、実際にやれるかどうかは別にして、一般的な反応は、「まぁ、そんな人もいるだろうね」という感じでチャンチャンと話の幕は降りてしまうだろう。なんでもありの時代なのである。排泄物を食べる、ということは一種のコンセプチュアル・アートになりうる。そして、それに飽きられた時に次にどのようなコンセプトを提示できるか否かが、ただの変態か、アーティストかを分ける。前置きは長くなった、予想とおり「ピンクフラミング」で知られる、元祖下品フィルム・メーカー、ジョン・ウォーターズの新作は、現在の混沌としたアートの状況を見つめなおす「品の良い」傑作になっている。しかも、その視点は人を見下さない優しいものだ。優しすぎるがゆえに、死体写真が一番過激な表現だと思っているようなバカにはこの映画の良さが伝わらないかもしれない。でもしかたがないよね。

"天使が観た夢"

最近、フランスの新しいフィルムが元気がない。ヒップな作品はイギリス、ドイツから、またはベルギーなどから出てくる。なぜでしょうか。そんな中で、ひさびさに観たフレンチな新作。主演が、ゲンズブールの遺作、「スタン・ザ・フラッシャー」(最高傑作)の女の子。もう、すっかり成長してます。この子は、「一番美しい年令」にも出ていましたね、本作も含めて、人間の生き方の深い部分に觝触する作品に出るのが好きなのか。

 本作を観て感じたのは最近、「トレインスポッティング」あたりから台頭していてきている一連の映画たちに共通する、音楽的リズムの中で、一種の空虚感をティストにするパターンである。これらの流れは、たしかにカッコいい。でも、空虚をただ空虚で表現していくのは、一種の限界というか、「問題先送りまたは無視」の、逃げの感じもする(それがまたいいのだが)。映画のなかの人生は長くても2時間。編集は自由自在。しかし、観ている僕達の人生は不自由にもっと長く続いていく.....ふとしたことから部屋をシェアすることになったふたりの若い女性をドラマを描く、本作は、「空虚感」にとどまることなく、しっかり足をつけて生きていくための、ちいさなヒントを教えてくれる。フランス映画はやっぱり、いい。 






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