NUMERO DEUX Review

GOHATTO
御法度(1999) 監督 大島 渚




正直いって大島渚のこの新作にはまったく期待していなかった。それではなぜ初日に観に行ったかといえばチラシを見たら衣装デザインがなかなか良かったので、それだけでも楽しめたら、ぐらいの週末のヒマつぶしであった(前評判もそれほどでもなかったし)。ところがまさかの大傑作。「戦場のメリークリスマス」との関連性も強く感じさせる「御法度」は間違いなく日本が世界に誇れる傑作でしょう。


「御法度」review SIDE A

ヒトゴロシの集団であることを、そこに一人異形の者を放り込まれただけで否応なしに気づかされていく土方の懊悩が実に興味深い。近藤はお上の威光をまとうことで、土方は鉄の規律を遵守することでヒトゴロシたる自分らにタガをはめようとするが、血の匂いをまき散らす惣三郎に甘くなるのはその裏返し。ただ沖田だけが、そこから自由でいる。惣三郎がかけた「願」とはつまり、沖田への懸想であり、ヒトゴロシでこそあれ、沖田のレベルにまで達したかったのであろう。それが化け物を産み、物語は、まがまがしき美しさの桜を切り倒す土方で終わる。そう、それは惣三郎の死のかたちなのだ。そうした意味で、この映画は「戦場のメリークリスマス」で語られたことの半分しか語っていないが、ひとたび普段の常識を揺さぶられたとき、人は実にたやすく混乱することをより過激に語っていて、大勢をたばねようとする規律、信念、信仰といったものの滑稽さを感じてもらうためにもヒットを望みたいと思う。自分としては、この映画を観られて幸せである。
text by ken kawano


「御法度」 review SideB

徹底したミニマリズム。その中ではもはやテロリスト集団(パンフより)であるらしい「新選組」に対する教科書知識はまったく不要に思える。逆に、これらの知識があればあるほど、この作品に対して混乱するのではないか。大島渚が描きたかったのは、「集団のなかの小さな事件」であり、「新選組」というのは選択枝のひとつにすぎない。(このことは、新選組の重要な事件(池田屋事件)が、描かれてなかったりメインキャスト以外の新選組のメンバーが劇中で恐ろしいほど匿名的なことでわかる)この センスでいくなら「新選組」というのは一種ベタなのだが、そこであえて、この集団をセレクトして一種下世話な雰囲気を作り出すのが、この監督の最大のセンスである。そうでなければ、本作との血縁関係を感じる「戦場のメリークリスマス」で坂本龍一の日本軍将校とか、デビッド・ボウイの捕虜とか、イロモノ的な配役でキチッとした美学のある作品は作れないだろう。しかし、まったく枯れたところを感じさせない攻撃性のある作品である。大島渚は恐 ろしい監督だ。
text by Shinichi Ishikawa(NUMERO DEUX)







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