「みたてる」という行為。そのすすめ。
●「scherzo 新春対談イベント「みたて」加賀城匡貴×神田山陽」
日 時:2010年1月29日(金)19:00-20:30
会 場:ATTIC(南3西6長栄ビル4F)
あるものを、それと似た別のもので表すこと、「みたて(見立て)」。それはクリエイティブの大切な基本かもしれない。
日常にあるものをテーマにして、映像・音楽を使ったユーモラスなアート・パフォーマンスや教育教材の執筆も行なっている加賀城匡貴(スケルツォ)。彼はヨーロッパ各地の路上をビデオカメラで「みたてながら」旅をしていった。そして、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」等テレビ・ラジオで活躍する講談師、神田山陽も、自分の身のまわりのものを撮影して記録しているという。
この2人がおたがいに撮影した写真を「みたて」たトークセッションがおこなわれた。
▲第1部は加賀城匡貴のヨーロッパ各地で撮影をした写真を紹介。二人の見たてを紹介していった。写真はコンセントの形でトークを行なっている様子。そのデザインは顔のようにユニークだ。2人の「みたて」の違いがおもしろい。
▲ 第2部では、神田山陽の写真を紹介。今回のために札幌駅の大丸デパートのレストランでネタを撮ってきたという。写真は、しゃもじについたごはん粒などを顔にみたてている。両者とも「顔」にみたてるテーマは多いようだ。その点、なかなか興味深い。
▲ 第3部では、第三者が撮った写真を出演の2人と会場のお客さんもあわせてみんなでみたて。西洋絵画作品の見たてにみんなで頭をしぼっていた。「みたてる」ことは考えること。それは頭の中の受け身ではない積極的な姿勢だといえる。なかなか思いつかない自分にイライラ。人の意見を聞いて、アッと思ったり、感心したり。いろいろな「みたて」が飛び交った。
▲加賀城匡貴(写真上)は、映像・写真のアートパフォーマンスや執筆とその活躍の場は広いが、その彼の根底にあるのは「みたて」かもしれない。そんな彼のもっともベーシックな部分が垣間見られたイベントだった。近々、東京でのプロモーション活動や、4年前のZep札幌以来のステージパフォーマンスも予定しているという。
▲ 神田山陽(上写真)の「見立て」のルーツは、若い時分、お金のないデートで、ひとつの美術館でできるだけ長い時間をすごすために生まれたという。ひとつひとつの作品に描かれている人物を彼なりに彼女に解説したいったとのこと。そうすれば「あっという間に夕方になりましたよ」と語っていた。「見たて歴=デート歴」という感じだろうか。
本イベントは楽しい内容だったと同時に「見たてる=考える」ことについて、感じさせるイベントだった。テレビやネットの用意されたエンターティメントをその意図のままに受け入れることの多い今の時代。
ふと本イベントのように、「意図されない」ことを考えて、おもしろがる、そんな感性は大事なことではないかと思う。それはクイリエイティブ発想にもつながるのではないのだろうか。
Photograph & Text by Shinichi Ishikawa (NUMERO DEUX)