Sapporo Art & Design “Report”
2014.2.1~3.28
第2回 札幌500m美術館賞グランプリ展「WhitePlay」
札幌大通地下ギャラリー・500m美術館
「雪」は時には害になるけど、雪に悪意がある訳じゃない。
大黒淳一によるアート展示「WhitePlay」
雪は無垢。雪に気持ちをあたえるのは、そこに住む人間である。僕は北海道にうまれた。いわゆる道産子。雪と僕の関係は、子どものころはそり遊びをしたり、雪合戦、かまくらづくりをした。中年となった今「雪が好きか?」と聞かれればなんとも答えにくい。現在の雪からうけるイメージは「吹雪」「除雪大変」「車の運転大変」といったダメなことばかり。これは単なるイメージではなくて、事実でもあるからやっかいだ。でも、それは「雪」の本意ではないのである。
大黒淳一は札幌在住のサウンド・メディア・アーティスト。その表現の幅はひろい。一般でイメージする「音=耳で聴くもの」という概念から離れた作品もある。それは奇抜を狙った訳ではなく大黒淳一の考える音の観念というものは、音楽からノイズそして、ヴィジュアルもふくむものなのだろう。今回の展示も一見したろころ「音」とは関係のなさそうなところが興味深い。
彼の作品「WhitePlay」が札幌市が運営する「札幌大通地下ギャラリー・500m美術館」にて展示されている。これは本美術館が公募した企画のグランプリ作品。その内容はガラスの中の展示スペースに、雪国に雪の舞うシーンを羽毛と床に設置され調整されたサーキュレーターによって表現されているものだ。
地下空間で観る、本物ではない「雪」
そのフィルターが「気づき」に導いていく。
本展示は地下通路にある。雪国に住む者にとって地下通路は大事な意味を持つ。なぜなら、冬における「雪」を防ぐことができる大事な施設だということだ。「雪」を防ぐ(遮る)通路の中に展示されたアート表現としての(本物ではない)「雪」。この展示場所が、本作のコンセプトに深くリンクしていて、本展示を魅力的なものとしている。
現代アートのひとつの役割として、今の社会とコミットして「気づかせる」というのがある。僕にとって近頃の「雪」は「寒い」「除雪」「車の運転が大変」という「害」であった。しかし、本展示「WhitePlay」での地下の雪のふらない場所で観る本物ではない「雪」。それが舞っている光景が美しかった。無垢なもののランダムな動きは、質の高いアンビエントミュージックのようである。そこで僕が気がつく。「雪」が悪い訳じゃないんだ。悪いのは考え方なのだ。もちろん雪害というのは幻想ではない。でも、雪を悪者にしてはいけない。雪は無垢なのである。
そこに気がつかせてくれた「WhitePlay」素晴らしいアート展示だった。
「雪」は時には害になるけど、雪に悪意がある訳じゃない。
Text & Photo by Shinichi Ishikawa(NUMERO DEUX)