18歳未満入場禁止展覧会「下品で最低3」
期 間:2014.8.22~2014.8.24
会 場:OYOYO(南1西6)
参加作家:UNKNOWN,アラキヨシキヨ,ウルトラマンコニシ,ゲスゼミ,札幌二次元研究所 松林所長,夕力夕゛ヨウ,中田氏昇天,ミウラコータロー,山口哲志,夢ノ森眠都,ようじょうて
「…『札幌国際芸術祭 2014』に「連携事業申請」をして断られ、「同時期開催事業申請」をして断られており、この事からもアートとは関係のないことがよくわかりますね…」(本展覧会告知説明文より)
僕は意図のある表現というのはすべて「アート」になりうると思っている。なんてね、書くとはずかしいけど。だから、本展覧会もアートだと思う。そして、表現としての「下品」で「最低」な表現に囲まれていると、居心地の悪さよりも、ホッとして安心してしまう。
人に迷惑をかけない限り「下品」とか、「最低」というテーマに取り組むというのは凄くいいことだと思う。僕は常に上品と同じくらい、その逆も観てみたい。みんなそうじゃないですか?最低(下品)と最高(上品)というのは、同じライン上に存在するものではないか。そう思うので、僕は下品も上品も好きだ。そして、実はその立ち位置というのは簡単に変化してしまう可能性がある。最高に上品だと思われるものが、下品に転換することってあるとは思う。例えば、最高にコストとクオリティをかけた作品に下品な印象を感じたり、下品でしかないと思われる作品が人間の本質を描いて、そこに上品さを感じることもあるのではないか。
また、なんだかんだいって、人は下品(最低)なもの好きではないのだろうか? TVなりネット等あらゆるメディアのコンテンツには必ず下品(最低)なものが用意されている。それはつまり、下品(最低)なものは人が日々生きているのに必要なものなのだ。世の中、品のいいものばっかりになったら息がつまると思う。僕自身も自分の精神状態によっては、ひどく上品なものがとても気に触ったりすることがある。逆に下品なものに癒されることもよくある。
僕は表現において一番、よくないのは「無意味」だと思う。表現はなんでもアリだと思うのだけど「無意味」まで表現に加えてしまうのは抵抗がある。「無意味」は下品と上品のような連動性や流動性もない。そこにクールを感じる感性というのもわからなくないが、それなら下品(最低)のほうがずっといい。無意味に意味性を感じ取るのがものすごいマイナスパワーだと思う。マイナス自体は悪いと思わないけど、意味のないマイナスは消耗するだけだ。
2012年にはじまり、今回で三回目を迎えた本展覧会。年1回コンスタントに開催できていること自体に僕は上品さも感じてしまう。展示作品を観ていると、なんとも愛しさや優しさを感じてしまう。下品や上品というのはまったく相対的なものであり、「下品で最低」というタイトルもテーマというよりも、単なるネーミングであり、いったい下品とが上品とか、最低とか最高とは何だろうねと考える。結局、人間が定義するものだがら、それがつねにゆらいでいくと思う。それに、日常では極端な上品や下品にふれることもあまりない訳で、非日常感も悪くない。
最終日夜には東京より大人のおもちゃを制作・販売しているホットパワーズの「みくらちゃん」をゲストに迎えた「ホットパワーズ トークショー」が開催。地道にアップグレードしている本展覧会の今後も期待したい。この安定感は何だろう。
Text & Photo by Shinichi Ishikawa(NUMERO DEUX)