NUMERO DEUX NEWS 1668 札幌のアートなニュース。
齋藤周が、表現に取り組んだ、
もうひとつの「合図」
週末。観光客で賑わう二条市場を通り抜ける。視界に入るもの。道路、信号、人、お店の看板。様々な情報にあふれる。クラークギャラリーを目指す。階段を登る。展示会場には齋藤周が在廊していた。話をしてみる。今回の展示は 前回から、1年ぶりだということだ。たしかにそうかもしれない。「発表ペースを決めているのですか?」と聞いてみると「決めている訳ではないが、年に一度はやりたい」という気持ちだそうだ。逆に発表したいときにやる、というスタイルは馴染まないらしい。それだと、できなくなりそうだと言う。なるほど。その気持ちはわかる感じはした。自由なクリエイティヴにも、なんらかの区切りは必要ということだろうか。また、齋藤周にとって展示とは、友人や知り合いに自分の今を知らせる意味もあるようだ。そう考えると1年に一度は良いスペースだと思う。
本展示のテーマは「合図」(=言葉以外の伝達手段)。この意味は一般的には、社会的に決められたもの。それは、生活や仕事をするうえで明確に決められたものである。例えば、陸上競技におけるピストル音。それはスタートの「合図」。しかし、この展示の合図はその意味とは異なる。齋藤周がみつけた合図とは、社会的決められていない、パーソナルのもの。例えば、仕事場でふと前から積み重なっていた書類が目に入って、それになにかをふと思う。それを何かの「合図」と感じとることである。
これも、僕も凄くわかる。意味としては「直感」のニュアスンスに近いが、先に書いた例にように「前から積み重なっていた書類」から、感じ取るという部分が純粋な直感とは異なる。なにかに「合図」をもらったのだ。このもうひとつの「合図」はなんだか難しい話のように思える。しかし、実はわたしたちみんなが、なにげない日常で体験している。この合図を軽く意識的に、時には無意識的に受け取って行動が決められる。そんなこともあるかと思う。僕たちの日々は理屈と社会的ルールだけで動いているいる訳ではない。
本展示の齋藤周が注目した、もうひとつの「合図」。それを視覚化した作品が展示されている。作品をみていると、なぜか僕は楽しい気分になった。その理由は、多分、この「合図」には自分に多く共感があり、それがアート作品となっているおもしろさ。そして、人が理屈や決められたルールだけで動いていない事実。そのことに僕は実にホッとする。齋藤周が描いた「合図」をあなたにも体験して欲しい。そして、明日の僕はどんな「合図」を受け取るだろう?
Text by
アート・メディアライター
石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
「齋藤周展『合図』」
会期:2016年11月4日~30日/11:00~19:00(月曜日・第三火曜日休廊)
会場:クラークギャラリー+SHIFT(南3東2 MUSEUM2階)