欲しいものがある。それは観光で有名な場所でなくてもいい。自分の住んでいるまわりに「自然」が欲しい。公園でなければ、外から見える他人のお庭や、植木鉢でもいかまわない。なぜなら、自然が目に入ると精神が安定する。僕にとってはそれは「癒やし」という言葉では説明できない。「関係性」というほうがしっくりする。僕は自然とコミニュケーションをとりたい。「会いたい」のだ。そして、僕が自然の中で一番好きなのは雑草なのである。今回の原稿テーマにあわせた訳じゃない。僕は地味な植物が好きなのだ。その基準でいくと雑草はベストになる。
雑草は時に人を驚かせる。例えば、アスファルトの舗道をやぶって生えている雑草。たくましく太陽にむかっている姿。やや大げさだけど感銘すら受ける。雑草はどこにでも存在する。僕は雑草とは個であり同時にランドスケープな存在であることが好きだ。その点を説明すると、雑草はまず個として存在している。同時に、さまざまな風景(ランドスケープ)の一部としてもある。家の庭の風景の一部としてあったり、先に書いたアスファルトに生えた雑草のように、意図されずある場合もある。雑草の良さは、どんな場面でも似合うこと。自然の中はもちろん、非自然(例:アスファルト)にも適応する。まるで、人間のようでないか。「雑草のように生きる」とはよく言ったものだ。このフレーズは「たくましさ」の例えにされるけど、それは多様性や適応能力も意味するのものだと思う。
小林俊哉は1959年北海道生まれ。1983年から作家活動をはじめる。現在は東京・ドイツ・スイスを中心に活躍。作風は、植物をモチーフにした平面作品。ほか、草花の写真を使用したインスタレーション作品も発表している。その活動はギャラリー展示だけではない。2007年にはハンブルグ動物公園駅構内に縦2.4m長さ14mの作品を設置。2011年は足利日本赤十字病院、2012年パレスホテル東京、札幌天使病院等でアートプロジェクトをおこなっている。
本展示では、タイトルにあるとおり「雑草」をテーマとした絵画、写真、そして乾燥させた植物に着色した立体作品を展示している。その展示方法は、一般的な美術展示とは異なる。平面作品はさまざまな大きさ・形があり、それに立体作品を加えて空間の中に自由な雰囲気に配置されている。この作品レイアウトがまさに「雑草」らしくて素敵だ。どこにでもありうる存在感。展示の空間はどこまでも自然にように構成されている。
「雑草にように生きる」。それ意気込みや、特定の場合に例えられる訳ではない。人間とは雑草そのものなのだ。自分を雑草だと考えることは、案外人生を、生きやすいものにしてくれる。そう考えていきたい。
Text by アート・メディアライタ 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
「小林俊哉個展『何も語らざるものたち。-雑草-』」
会期:2017年7月1日(土)~30日(日) 11:00~19:00 休廊:月・火曜会場:クラークギャラリー+SHIFT(南3東2 MUSEUM 2階)
(同時開催)小林俊哉個展「明けない夜」
会期:2017年7月7日(金)~23日(日)11:00~18:00
会場:ギャラリー門馬
住所:札幌市中央区旭ヶ丘2丁目3-38
http://www.g-monma.com