「水石」を少し前からやっています。自宅で楽しんだり、展示会に出品しています。
これは、石に自然の風景を見立ててを室内の中で楽しむ行為です。
石は削ったり、色をつけたり等を手を加えてはいけません。
僕は「水石」も「メディア」だと思っています。
だから、「石」をみながらメディアについて考えたことを
時々書いていきます。
「炎上マーケティング」というのがあります。今回はこれについて。
僕はもう、20年以上メディアを作っていますが、この用語を見るたびにドキリとします。また、興味を持ってそういった現象をチェックすることもあります。なんて書くと研究ぽいですが、そんなことはなくて、ただのウオッチャーをしての自分です。メディア作りについて講座をやったこともあって、当然インターネットでのメディア作りも触れますが「炎上マーケティング」については詳しく触れたことはありません。自分ではやりませんが、それの是非というのはよくわかりません。
なんか、是非よりレベルの問題のような気がします。「炎上マーケティング」というのは新しい言葉ですが、過激な文やコピーで人の関心をひく、という「やりかた」そのものは、インターネット以前からあった訳で、そういったメディアもありました。ただ、それがインターネットという簡単に世界中に発信できるようになったことと「広告アクセス」というネット特有の収入システムともうまくリンクして、広がっていったのでしょう。
さて、レベルの問題と書きましたが、僕はインターネットで書いたり、発言したりすることについて心得ていることはとてもシンプルです。「それを現実の人の前でもいえるか」ということです。ここでいう「人」とは、家族から見知らぬ人まであらゆる人を指します。あと、一度発言したことを取り下げるのは非常にリスクがある、ということです。これは信用性の問題です。メディアをつかって発信したことを簡単に取り下げたり、やめたりすると不安定な人間だと思われます。それはつまり、あまり信用できないというイメージがついてしまいます。
時々ネットでビリッと辛口でうまいテキストを書く人がいます。僕はそういう人は好きです。そこから議論が生まれたりします。僕はそれも一種の「炎上マーケティング」だと思うのですよ。問題提起ですね。それはメディアづくりとして十分ありだと思います。ただ、うまく表現できませんが、そこに「うまさ」や「品」が必要だと思うのですよ。「品」の無い炎上マーケティングは、僕にとっては、それは単なるウオッチャーの立場でしか見ることができません。
では、メディアの「品」とは何なのか。シンプルに書くと、それはやはり「信用」できる存在になる、ということかと思います。
僕にとって「信用している」というのは最高に目指すべき、お褒めの言葉であり、それが自分のメディアの評価になればいいなぁ、と思います。そこに「品」があると思うです。
Text by
アート・メディア/ナビゲーター 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)