帰り道 コンビニ前を歩く
透けてみえる雑誌ラック
ガラス越しに 見える最新の雑誌
その原料は木材繊維の束(パルプ)
紙の本や雑誌 もう何百年も在る
でも、インターネットの登場は
紙の役割を奪っていく スマホで読めればいい
どうすればいい??
昔からあるから守ろう
ではダメなんだ
人はそんなに優しくない(なれない)
「紙」っていいね と語れる
という表現(文化)をつくりだす
創造と編集が必要だと思う
紙の本が生き残るには、
紙である魅力が表現(説明)できればいいと思う
いいね!となればいい
その気持ちが文化になり紙の価値となる
平日の夕方、委員をしている観光・経済系の会議があり登別市役所に向かった。僕の住んでいる
鷲別町からは車で30分くらいかかる。温泉エリアは車でも1時間弱くらい。自分が温泉のまちに住んでいる実感がない。
住んでみてわかる、実感とは大事なこと。実感とは気持。住み心地に通じる。僕の住んでいる鷲別町はベッドダウン。室蘭市と隣接。静かなところが気に入っている。JR駅がそばにあるのも札幌へのアクセス上大変助かっている。静かな無人駅だが、よく利用する札幌行きの特急が止まる。
話を戻そう。登別市役所に近くには「アーニス」という地元のショッピングモールがある。会議の前に少し時間があったので立ち寄ってみた。入ってすぐの催事スペースで古本を売っていた。なんと無人で本はすべて100円。お金を入れる箱がある。郊外の畑にある野菜の無人販売のようなノリである。
出店しているのは白老にある「サイブックス胆振」というお店。いろいろ買取もやってくれるようですよ。応援したい。ウェブサイトはhttp://saibooks-iburi.com/
無人であることを除けば、スーパーの催事スペースでの古本販売というのは珍しくはない。しかし上写真のとおり「むじぼん」というネーミング。サインポスターのデザインの完成度の高さから、思わず目について本を見てしまう。
気持ちのいい見せ方。それがあれば紙の本の魅力を感じるし、これは文化だと思う。「文化として感じてもらう」これがとっても大切。その工夫があった。その工夫も楽しいのだ。
デジタルデーターではなく「実体」のある紙の本。だから、現実世界で歩いていてふと「出会う」。こんな体験ができるのは紙の本の良さだと思う。僕たちは多分、ネットだけでは生きられないから。現実の体験が必要になる。
今まで紙の本が「紙」であったのは、表現というより「都合がいいから」「便利だから」というのが大きかったと思う。その実用性だけで十分でもあった。しかし、インターネットが登場してスマホやタブレットという「読める」ライバルが登場した。
それらは重くてかさばる紙の本より便利でどんどん使い勝手もよくなっている。おそらく、単縦に情報を得る、作品を読むという目的なら紙の優位性はほんとんどない。これからの本は「表現」に移行しない限り生きてはいけない。
本を構成する「紙」のメディアの部分がは文化・芸術にシフトしていくことである。そんな難しい話ではない。先に紹介したスーパーでの魅力的なサインの催事コーナーでの無人本販売。これも「紙」の特性を生かして文化として現実化した試みだと思う。
古書店は古い本をいかにキュレーションして、文化としてみせていくかというのが課題になると思う。また紙の本を新たに作るなら「紙」であることが、単なる実用性だけではない「存在感」が必要だと思う。紙の大きさ、厚さ、色合い、手触りというネットにはない実体感がある。これを生かしたい。こう考えると「紙」は文化やアートの形で生き残る模索をしていきたい。
Text by メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜文化とアートとメディアについて考えて、書くのが好きです。
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