冬と美術と建築の切り離せない関係性。
NUMERO DEUX NEWS No.39
500m美術館vol.13 Sapporo Section : Architecture
「美術と建築、これからの札幌」
会 期 : 2014年10月11日(土)~2015年1月23日(金)
会 場:500m美術館(地下鉄大通駅内)
札幌の冬をもっと楽しくなるために、冬の文化を再考察すること。
冬の地上が楽しいと、もっとなにかが生まれてくる。
冬がくる、冬が来ている、冬が過ぎる。札幌に住んでいて、今はまさに「冬」が来ているという過程をカラダで感じる。雪がみえる。まだ、根雪にはなっていないが雪が僕のそばにある。自然の存在感というのも凄い。どんなに暖房設備や衣類によって、快適な暖かさが確保ができたとしても、自然による温度変化を完全に「無視」することはできない。それはきっと、温度という物理的な問題ではなくて、人の内心に関わっているからではないか。自然の寒さは「温度」だけではなくて「その地の文化の要素」だからだと思う。寒さから生まれる「雪」は文化でもある。
あと10年たっても僕たちの感覚は「冬が来た」と感じるのだろうか。100年後は違うのだろうか。1年先もわからない世の中だけど、僕は「冬」を感じるのは大切なことだと思う。僕は、冬が来るのにうんざりし、でも時々冬にある雪の美しさに心動かされ、冷たい空気が心地よさを感じさせる時もある。そして春を待つ。時間の中に存在する「寒さ、冬、雪」の文化的な価値、美術的な美しさ。
冬の文化、美術といえば、札幌には「さっぽろ雪まつり」がある。これは「冬」をテーマにした内容では、日本最大のお祭りである。国外からもこれを目当てに来る観光客もいる。今年で66回目を迎える。つまり66年の歴史がある訳だ。人の平均的な一生にはまだ足りないが、短いとは決していえない時間。僕にとっては「さっぽろ雪まつり」とは物心ついた時から、当然に存在するものであった。札幌にの中心部が会場なので、毎年意識的にも無意識的にも目に入っていたと思う。そのために、このお祭りについて、逆に鈍感になっているのかもしれない。
この地に住む僕たちは「冬」の文化について「次」を考えないといけないかと思う。「さっぽろ雪まつり」は当然に存在するものではない。多くの人の努力によって成立している。それだけに冬の文化をまかせておいていいのか。なにか冬を活かせるコトを考えたい。
「美術と建築、これからの札幌」展示を観て、僕は「冬」という観点から、札幌の美術と建築について、考えることに一番興味を持った。一番上の写真は展示作品「光のかまくら」(岩瀬諒子/植村遥)は建物と建物の間に、採光するガラスの空間を街のなかに複数つくる試み。この空間は人の人が集う場所にもなるという。冬という季節に映える空間。人の場所。美しく、素晴らしい。これを観たいから歩きたくなる。集いたくなる。これによって、地上の人の流れがふえる。人が増えれば、まだおもしろいことは発生するに違いない。この地の居心地が良くなる存在感のある何か、そしてなにかが生まれる可能性。「美術と建築、これからの札幌」に必要なことだ僕は思うのだ。
Text&photo by Shinichi Ishikawa(NUMERO DEUX)