WEB MDEIA NUMERO DEUX NEWS No.15016
札幌、「都市と自然」は「メディア」、はじまり。
スタートさせるための、ひとつの考えの発信
僕は札幌生まれの札幌育ち。そして、現在も札幌にいる。厳密にいうと小学校5年から中学1年まで東北に住んでいる。この期間は札幌という場所を客観的に見られたいい時期だと思っている。幼なすぎて限られた印象しか残っていないのは少し残念。でも、その子供〜少年の目でしか感じられなかったこともあると思う。小学校はお米中心の給食、ベランダが廊下になっている中学校、ジャージのことを「ジャス」ということ。家の目の前にあった広大な水田がひろがっていたこと。神社のそばにあった商店街などなどがノスタルジーが混ざり合いながら記憶されている。
それらの記憶は、もしかしたら正確性には欠ける部分もあるかもしれない。でも、個人の心の中だけで完結するだけなら、それでもいいと思っている。外に情報(ニュース)として発信する時は、正確性は大切にしたいといけない。でも正確とは限らない個人の印象(感情)も、それをことわった上で発信するのもありだと思う。それはつまり、メディアは情報(ニュース)も個人の印象(感情)も発信できるのである。僕の考えるメディアとは単なる集積されたデーターの発表ではない。データーに加えて感情も含まれてかつ、時の流れの中で変化していく有機的なものだと思っている。メディア自体は変わらなくても、受け取り方はかわることもあるのだから。
さてテーマに戻ろう「都市と自然」って、何なのだろう?その捉え方はさまざまだと思う。僕は都市も自然も「メディア」だと思っている。そして、そう考えるのが好きだ。なぜ、メディアなのか?私たちは「都市と自然」という「媒体」(メディア)で、情報を受け取り、発信し続けているからだと考える。具体的にいえば仕事をしたり、学んだり、なにかを得たり、感じたり。そこには情報と感情の交流がある。それらは「都市と自然」が存在することによって成立する。
シンプルに説明すると、わたしたちが生活をする「ステージ」(生活している場所=「都市と自然」)は、ただのなにもない真っ平らな床面ではない。動的であり、非常に多機能で複雑に情報と感情がやりとりされる空間=「メディア」なのだ。例えば、大通公園の一丁目の東側に視線をむけて立ってみよう。東に見えるTV塔に時計、南北の商業ビル。地面にはアスファルトと草木。地下には地下鉄とチカホ。視界に入る情報、そこから歩き出して利用できるサービス。相互交流が可能な機能にあふれている。受信もできるし、発信もできる場所としての「都市と自然」これはまさに「メディア」だと思うのだ。
都市を「メディア」として、捉えて考えていく。この場所で、スマートフォンを持ち歩きながら、わたしたちは生活をしていく。「メディア」としての都市や自然をさらにどう考え、それを発展させていくか、それをこれから考えていこうと僕は思っている。メディアを使って!
Text by メディア・プランナー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)