NUMERO DEUX NEWS 16048 札幌のアートなニュース。
コマを読ませる、心地よいリズム。
漫画を漫画と意識せず、描くのは実に難しいのではないか。
僕は「漫画」というのは「映画」と同じくらい「総合芸術」だと思っている。ストーリーがあって、ビジュアルがある。そこから割り出されるコマ割りも奥が深い。漫画は実に芸術的であり、同時にグラフィックデザインのように理論的でもある。ただ、理論または流行があることによって、もっとたくさんあるべき漫画のバリエーションが、意外に狭くなっているような気がする。それは、洗練なのか効率なのか模範なのか僕にはわからない。ただ、漫画のオリジナイティというのは、まだまだ開拓の余地があるのではないか?と最近思いつく出来事があった。それは、横山裕一の作品に出会ったことである。そこにはショックがあった。
横山裕一は1967 宮崎県生・埼玉県在住。武蔵野美術大学油絵科卒。「500m美術館vol.19 いつかきたみち、こどもみち」に出品作品している。それは『横山裕一/アイスランド』。展示では、漫画作品の一部がブローアップされている。一般的な漫画作品だと、こうした展示方法はなかなか成り立たない。なぜなら、そこで展示された中で話が完結する訳でもないし、仮に表現技法としてユニークな部分を抽出できたとしても、それは漫画の宣伝くらいの機能しかもたないのではないか、と思うのだ。これは多分、合っていると思う。
ところが、展示された横山裕一の作品は違う。なんといえばいいか。抽象的な言い方になるけど、作品のコマの中には、僕の知らない「リズム」があるのだ。それを感じ取ることによって、展示作品として成立していると思う。未知の体験なのだけど、どこか心地よい。だから、このリズムに乗れば気持ちよく読ませくれる。実は、漫画を漫画と意識せずに描くのはとても難しいことだと思う。でも、横山裕一はそれに自然な形でトライしているような印象を受ける。アートとしての漫画について、非常に可能性を感じた。
Text by
アート・メディアライター 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
500m美術館vol.19 いつかきたみち、こどもみち
『横山裕一/アイスランド』
会期 : 2016年7月9日(土)~2016年10月12日(水)
会場:札幌大通地下ギャラリー 500m美術館