NUMERO DEUX SPRCIAL 021
INTERVIEW WITH Daisuke Sasaki(Ki:n%Hz )
札幌市中央区南2条西10丁目1000-20ダイメック南2条ビル2F
*2007.9.15現在 移転 → 札幌市中央区南3条西1丁目1-2
K3-1.bld.1F
取材日時:2000.11.24(fri) 13:00-14:30
NUMERO DEUX net magazine Copyright.
Ki:n%Hz = INFORMAITION INDUSTRY
「港の空の色は、空チャンネルにあわせたテレビの色だった」("Neuromancer / William Gibson"1986)。今回の取材をした後、このフレーズがふと浮かんだ。ウィリアム・ギブスンの描いた未来は、ミレニアムな今時分、その世界観はより確信を強めつつある。Ki:n%Hz(キーンパーセントヘルツ)と名付けられたショップは、単なる良質のブランドのウェアを扱うセレクト・ショップというよりも、もっと深い、ありそうでなかった(特に札幌では)カルチャーのキーポイントになる予感がする。代表である佐々木大輔のサイト展開などデジタルに目配りしつつも、デザイナーとの人間的つながりも重視するバランス良さに魅力を感じからかもしれない。そういえば、ギブスンの作品も、結局のところ人間臭さ、というのが魅力につながっている。インタビューを読んで、 Ki:n%Hzとつきあっていくことを検討して欲しい。
inteviewer SHINICHI ISHIKAWA(NUMERO DEUX)
INTERVIEW with Daisuke Sasaki (Ki:n%Hz)
佐々木大輔(キーンパーセントヘルツ/有限会社ノーブル・サベージ代表)インタビュー
by Shinichi Ishikawa(NUMERO DEUX)
「このショップはファッション業界だけではなく僕は「情報産業」だと思っている」
1. 簡単にプロフィールを教えてください。
76年生まれ。出身は盛岡ですが、すぐに函館に引っ越しました。父が建築の仕事をしていたこともあって、将来は工業意匠のほうに進学したいなと思っていました。それと同時に、函館の高校時代から凄く服が好きで、東京によく買物に行ってました。だから卒業したら東京に行くものだと思っていて。ところが、行きたい大学には進学するのは難しいことがわかって、それなら、高校時代、親にはいろいろ迷惑をかけてきたので、なにか役に立つことをしようと思い自分の家庭のある事情を見て、福祉の仕事を目指して市内の大学の福祉系に進学しました。
大学にはいるとほぼ同時にDJをやりはじめて、仲間ができてくると、そういう世界のほうが自分にあっていると感じてきました。もちろん服も好きで、そうしているうちに、市内のセレクトショップから「ウチで働かない?」というお話があって、そこは自分も好きなところだったし、福祉の勉強はやっているうちに、これを仕事にするには生半可では通用しない世界だとわかってきて。それは自分にはできないと感じていたので、そのショップに入社をするのをキッカケに大学を中退することを決意しました。いきなり親に相談もせず決めたので、ガッカリさせてしまったと思います。もちろん中退は止められましたが、「ごめん」という感じで決断しました。そしてファッションの仕事をすることになって、とにかく楽しかったですね。インポートも、アントワープとかも良かったし。仕事もがんばったらバイヤーにもなれましたし。
2. では、なぜ会社のバイヤーを結果的に辞めてしまったのですか?
会社でバイヤーをやっているうちにちよっとした疑問が生まれてきて、結局、会社でのバイヤーの仕事は「対デザイナー」ではなく「対代理店」なんですよね。自分としては、デザイナー自身から、デザインしたものに対する思い入れを聞いて、仕事をしたかった。だから、服は凄くいいのですけど、でもやりとりは代理店のみだと、それでいいのかな、というのが凄く疑問があって。どうしても、代理店をとおすと、デザイナーの「想い」が100パーセント自分に伝わってこないし、そうだとお客さんにも伝えることはできない。そこにストレスを感じてしまって。そうなるとファッションの世界にいてもいないような感覚になってきたのです。
3. その「ジレンマ」はどうして解決しましたか?
そんな中で趣味でやっていたDJのつながりで、日本のショップ・ディレクター、デザイナー、スタイリストさんに出会って、話をしているうちに、自分の疑問が、さっとひいて気持ちがクリアーになって。それは、僕はつねにできるだけファッションを扱う世界の「核」の部分にいたい!と思っていて、それなら、自分が「核」になればいいんだ!とわかったから。服っていうのはのいつもお客さん買いにきてくれるものですよね。だから、「あと3年まってください。そうしたら、僕がこの会社の核になります」とはいえないのです。それでは遅い。
だから、その核に近づくためにスッパリ会社はヤメました。会社自体は好きだったので辞めたくはなかったですけど。辞めた直後は、その後の具体的なプランはなかった。ただ、しばらくすると、以前は、なにかやるにしても東京じゃないとだめだな、と感じていたけど、でも、その札幌と東京の距離感がふと、なくなって、そうしたら「ショップをやろうかな」と思って。そして、今に至るという感じですね。
4 では、最近の様子をおしえてください。
最近は、好きなもの入れてるから、楽しい。このショップはファッション業界だけではないと思う。僕は「情報産業」、だと思っている。お店のほうに来てもらえればわかりやすいと思うのですが、好きなもの(情報)が集まっている世界。その辺が伝わりにくいかな、と思う。例えば、ここはサイトがあったり、イベントもやるけど、それはショップで服を売るためにやる、という訳ではなくてすべては同一線上でお客さんに提供したい。
ここのショップのコンセプトが、「ライフスタイルの多様性の認識と、それによる選択肢の拡大」というのがひとつあって、あまり制限するのはもったいない気がして、例えば、僕は音楽ならハウスは好きだけど、だからハウスしか聴きません!、というのは、それはそれでカッコ良いし、自分のなかでもありだけど、だけどそれだけではなくて、ロックもいいかも、ドラムンベースもいいかも、レゲェもいいかも、というほうがよりいいと思う。では、どんなものでもいいのか、というと、それは違って、デザイナーが「俺はこれが好きだから、これをやるんだ」という嘘、偽りつわりののない世界がいいと感じる。そういう感覚をもっているか、というのが取り扱うブランドをセレクトをするひとつのハードルになりますね。
5 このショップは素材などにこだわりながらも、シンプルなデザインのアイテムが多いですが、インディーズブランドのデザインで装飾過剰なものが多いと感じませんか?
あるスタイリストさんと話したのですけど、装飾過剰なのが良いか悪いか、というの判断は微妙なのですけど、その装飾過剰イコール人のやらないことをやる、ということだったら、それは思った以上に簡単なことだと思う。そういうティストは、マックイーンとか、ジョン・ガリアーノで十分なんですよ。それよりも、もっと自分の世界観を出して、かつ着てもらえるようにスタンスでやったほうがいいと思う。自分自身も、以前、装飾過剰で目立とうとしてインディーズブランドをやっていたこともあって、失敗したタチなので(笑)。そのエネルギーをもっとうまく使って欲しい気がする。そうすれば、札幌はもっとおもしろくなる。札幌のインディーズブランドもこれから期待大だと感じてます。
6.最後にこれからの予定について
サイトをチエックしてください(笑)。今、日本的なものを意識していて、次のシーズンあたりから日本を意識していきたいですね。まだ漠然としていますが要注意ということで(笑)。
after hours
インタビューした佐々木大輔はまだ四捨五入すると20歳でありながら、インタビューでもわかるとおりしっかりとした考えをもつ人物である。といっても、堅苦しさや、暑苦しいポジティブ感もない。クリアーに自分の意見を述べる好青年という印象であった。まだオープンしたばかりだが、Ki:n%Hzは今後動向が気になるショップだな、と感じた。
inteviewer SHINICHI ISHIKAWA(NUMERO DEUX)