「マザーウォーター」(封切作品)
映画のリアリティ、ストーリー、起承転結というのは、映画の魅力のほんの一要素に過ぎない。なので、別になくてもまったくかまわない。でも、ひとつ条件がある。なにかそられに「代わる」語りたくなるシーンがあるということだ。
本作、小泉今日子の初シーンから嫌な予感がした。それはお店のドアのガラスを拭くシーンなのだけど、それがどうにも格好良くない。僕の見間違いでなければ、拭き方が雑なのだ。一番ゴミがたまりそうなさんの部分をふきとっていない。それではキレイにならないと思う。彼女がそういう粗雑な性格な役なのだといいのだけど、そうではない。彼女はストイックに素敵なカフェをやっている真面目な役なのである。後から真剣にコーヒーを煎れるシーンが何度か出てくる。でも、冒頭の窓拭きを思い出すと、どうもコーヒーへの真剣さがうさん臭く思えてくる。僕が神経質すぎるのだろうか。でも、本作のような淡々として作品では、そういった細かい部分が大事なのではないだろうか。
僕は「めがね」「プール」は観ている。その2作と本作と比べると「めがね」が一番おもしろかった。「めがね」はある土地に休暇に訪れた、現代的である主人公の体験、という部分で感情移入できたし、主人公の心境の変化、料理や体操(ややあざといが)印象に残るシーンがあり、そのほか楽しげなシーンもいろいろサービスされていた。自然の描写も良かった。
「プール」は「めがね」と比べると、随分「なんだかなー」という作品になっていたが、現地の子どもを養子にしている小林聡美とか、その子の親探しとか、主人公と小林聡美の笑えない奇妙な親子関係とか、暗い設定が変に印象に残っており、そこは作品に心にひっかける「フック」はあったかなと…「マザーウォーター」を観ながらそんなことをずっと考えていた。
本作の「なにか、おこりそうで、おきない」というコンセプトは、僕は嫌いではない。ただ、なにも起きないなら「その代わり」が必要になる。多分、監督はシーンごとに何らからの思い入れはあると思うだけど、僕には「その代わり」は見いだせなかった。
作品内のシーン、(ほぼ)店頭だけの豆腐屋、浴場の出てこない風呂屋、お店の外観もよくわからないバーというのは、その見せ方自体は文句はないのだけど、でも、その不自然さカバーする、おもしろさ、というのが感じられない。料理のシーンは少なめなのだが、それはたださびしいだけ。どうせなら、バーカウンターに思いっきり料理を並べるくらいのシーンがあっても良かったと思う。
シーンがほとんど室内なので、妙に閉塞感がある。「プール」と本作の小林聡美って、そられの役柄好きなのかなぁ、この女優さんはもっと奥行きのある実力のある人だと思うので、妙に抑制されている役というのは損だと思うのだけど。もたいままさこは、まぁ、いつもどうりなのだけど、本作では全面に出過ぎていて正直うるさい気がした。バランスの中で強すぎだ。市川実日子も、僕はファンであるけど、風景のひとつのようなキャラだったなぁ。
もう一度書こう。登場人物が浮世離れしたキャラクターであることは全く問題ない。そして、彼らの住む世界はとっても平和である。それもいい。ただ、そのコンセプトだけをプレゼンにように提示されても魅力にならない。印象に残るシーンがなかったのが問題だと思う。
監督の意図はなんとなくはわかる。世の中が複雑化して、インターネットや携帯電話とか、24時間せかされているような現代社会の中で「シンプルな生活」を見せたいということなんだろう。ただ、実際登場人物のように生きるのは、難しいし、フィクションとして「羨ましいなぁ」と心底憧れるようなシーンが僕には感じられなかったのが残念。まとめてみると、監督の理念はわかるし、方向は嫌いではないのだけど、それがアイディアの提示だけで留まっている気がする。映像としての作品になっていないのだ。
別に、愛だの恋だの大騒ぎすることはない。
でも、本作では「素敵ふう」なシーンがあっても「素敵だな」というシーンが僕には感じられなかったのが残念。