映画コラム
「ラム・ダイアリー」(封切作品)
※Story:主人公(ジョニーデップ)は売れない小説家志望。ジャーナリストでアル中の女好き。職を求めてプエルトリコに行く。就職先は潰れそうでヤル気のない新聞社。島との出会いの中で、ヒロインと島の生活を乱す陰謀に主人公は対面する。
●オフビート失敗。その失敗こそ、まさに「オフビート」。
「オフビート映画」という表現がある。意味としては、起承転結がビシッとしてなくて、なんとなく流れていくような映画という感じだろうか。そして、ティストとしてはユーモアが必要かと思う。
つまり、オフビート映画とは、「なんともゆるい映画」と僕は解釈している。パッと思い浮かぶのはコーエンの「ビッグ・リボウスキ」かしら。
本作は、主演のジョニーデップも制作にクレジットされている。さまざまな作風に挑戦する役者だから、オフビートものにトライということだろうか。そうだよね。「バイレーツ・オブ・カラビアン」みたいな作品ばっかりだと飽きるでしょね。
さてさて、その結果は。まず、やっぱりねージョニーはスターだと思うのですよ。あたり前にハリウッドスター。しかも、基本主役クラス。するとスター臭というか、ヒーローの後光がある。そのため「ヒーローとしての行動」を観る側としてはなんか期待してしまう。本作は役も「ジャーナリスト」ですから、なおさらなんですよね。ダメダメな感じだけど、最後はキメるぜ、という期待。それがデップは似合うしね。ダメダメ演技も結構できるから。
でも、それがずっとダメダメだと、なんか観る側としては、不満が残る訳ですよ。彼はスターだし、かつ作中では不正を知ったジャーナリストだから。もう、リーチでしょう。
キャラの弱い役者だったら、ダメさ加減を愛せるんだけど、ジョニーデップの場合がヤレば絶対できるし、成功するじゃん!というタイプなのにやれない(やらない)という部分が不満を引き起こす。やればできるヤツがやらないと腹が立つ。オフビートに必要なのは、ヤル気があってもヤレないやつ。そこが大事。
本作は、実話ベースなんで、アレンジの限界はある訳だけど、最後にカルシタスをもたらすラストも十分可能だったのに、やっていない。あえてやってない。そこが制作にも関与しているデップのこだわりではないかな、と思う。そのこだわりは表現としてはブレなく筋を通しているの立派なんだけど、観客としては少々残念な作品になっている。それはなんとも、彼のスター性が邪魔をしているのだ。
ホントは、主人公がジャーナリストという設定でない作品なら、もしかしたら、オフビート感を不満なく出せたかもしれない。でも、そこはあえて、この職業の主人公でオフビート作品にしたのは、またまたマニアックなこだわりなんだろうなぁ。
なんというか、ラストがわかった2度目のほうが楽しめると思う。主人公の「仕事」(使命)というのはヨコに置いて、「ひとりの男のプエルトリコのダラダラ日記」というワクで考えると、この地の政治的特殊性や、島々の生活風景とあわせて楽しめるだろうなぁ。
よく考えると、ジョニーデップの本作でのオフビートへの失敗が、まさにオフビートなのかな。