毎日の字間

毎日の字間 2013.09.19 「どうにもならない世界」

2013.09.19

※要するに短めの日記。毎日積み重ねる…頭の中身と行動。
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今日、無事過ごせたことに感謝。

僕は「どうにもならない世界」に住んでいと思うことがある。それについて別に絶望とか、消極とかといった意味は持っていなくて「まぁ、しょうがないよね」という反応をする。僕は生活の中で、「まぁ、しょうがないよね」というフレーズを繰り返す。それが、深刻な意味を持つ場合もたまにあるし、ユーモアでもあるし、わりと普通の時もある。でも、浮かぶ言葉は常に同じ。「まぁ、しょうがないよね」。これで統一されている。廊下を歩きながら、ディスプレイを眺めながら、時々、空をみながら、時には月をみて。

しょうがない世の中を感じた時に、そこにはしょうがない自分がいる。それは、悲しみかもしれないし、単なるナンセンスかもしれない。物事を操作しようと考えてはいけない。世の中は思い通りにならないのが「普通」なのだ。逆に物事がうまく進行していると、少し気味が悪いと思う。詐欺にあっているかもしれない。僕のまわりはすべて書き割りでできていて、それがバタンと倒れてきて、すべてが終演するかもしれない。または、あっさり夢かもしれない。この瞬間が。

僕は寝ていて夢を観ない(憶えていない)。それはきっと、日常を「夢」だと捉えているからかもしれない。では、夢の中を現実感なくフワフワと生きているかというと、それは違う。僕が現実主義者である。夢の中の大変な現実主義者。これは矛盾することではない。夢だろうと、現実だろうと、その中で生きていくのは大変なのだ。経済があり、人間が交わるならば。

「どうにもならない世界」、といってもそれは100パーセントじゃない。水道の蛇口をひねれば大抵は水が出るし、決められたお金を入れれば自販機でミネラルウォーターを買える。お店に入れば「いらっしゃませ」といわれる可能性はある。その素晴らしさを感じる感性が僕は一番大事だと思うのだ。そこに意味を見いだすのが人生なのだ。つまり、平凡さを心の友として、平凡さにオーバーアクションで反応してやろう!非凡さには目もくれずに。

どうにもならない世界で、どうにかなることに驚き、感謝したい。

同じような時間だな。
おやすみなさい。

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