札幌のアートなニュース。
情熱とは静かに。
個人の内心で生まれて行く。
「情熱」という言葉の意味を、ぼんやりと考えていた。情熱があるとか、ないとかそれはどういうことなだろうか?僕は実はそんなに意味はないと思っている。なぜか、情熱とはなにかに取り組む個人的な力である。つまり、パーソナルな問題であって、それを一般的に定義するのは難しい。だから、意味はないというのは乱暴だろうか? 情熱という単なる言葉は情熱のある人には不要なことかもしれない。また、情熱という言葉だけを切り取って、それを求めるのは難しいと思う。情熱とは結果だと思うのだ。きっと、情熱のある人は他人に「情熱がありますね」と言われて気がつくのだ。自分には情熱があることを。
野口秀子は1943年生・北広島市在住。油彩作品を中心とする美術家であるが、水彩、クレパス、チョーク等も使用し、コラージュ作品も発表している。そして、多彩なツールを使うこともあって、作品は抽象的である。作品を見て僕が感じるのは「自然な楽しさ」である。さらりと書いたが、実はこれは表現としてとても難しいことだと思っている。
別の話をする。表現者(作家)が楽しいことと、それを見る受け手(客)が楽しい、というのは僕はまったく別の問題であり、必ずしもリンクしているとは思わない。つまり、作家が楽しく作った作品が、客にも楽しい作品にはなるとは限らないということである。異論もあると思うが、僕はそう思っている。野口秀子の作品は客に対しても優しく、楽しい作品だと思う。そして、恐らく、野口秀子自身も楽しんでつくっているのではないか、ということである。そして、それを支えるのが彼女の奇跡的なバランスの「情熱」なのだ。
野口秀子の作品は「情熱」とリンクした「ポップ」がある。キャンパスの外に跳んでいきそうな楽しさ、自然なリズム。この楽しさを表現つための内面。楽観性には、僕は悲観の処理が絶対に必要だと思う僕には、とても魅力ある作品である。繰り返そう、情熱とは結果にすぎない。だから、僕は情熱を生み出す方法を考えるのが一番だと思う。
Text by
アート・メディアライター 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
「野口秀子個展」
会期:6月14日(火)~19日(日)
場所:大丸藤井セントラル(7Fスカイホール)(南1条西3)