人生の味わいは、自分の「環境」の影響が大きい。その言葉はとても専門的に思える。でも、難しく考えることはない。それはだれにでもあるもの。いいかえれば、今自分のいる「まわりのこと」である。それは、住んでいる地域、家、職業、健康・心理状態、人間関係がミックスされている。極めて複雑なミックスケーキなのである。そう、人生はケーキなのだ。
その「ケーキ」の味は定まっていない。社会というフライパンの中でゆらゆらゆれている。焼きあがるのが人生。それまで僕をハラハラ、ドキドキさせる。もちろん、そこには喜びや楽しみもある訳。自分にとっては人生とは日常とハプニングだと思う。これは人によって違うのだろうか?
半年前から住む「環境」(まわりのこと)が変わった。すると日々の生活も変わってきた。いい出会いもあった。僕にとって出会いは、いつも自分が変わるきっかけとなる。ここで、大切なのは原則として人生に出会いは大事だけど「出会いを求める」のが人生ではない、ということだ。ひとりの時間で、さまざまな自分を作っていく。そうしている中で、ある時にいい出会いにつながる。それがいいと思う。
繰り返そう。出会いを求める行動が一番前に出るのは良くないと僕は思う。もちろん、出会いを意識するのは大事。ただ出会いを良い結果にするためには、日々の自分の中の準備だと思う。それは「ひとりの時間」で思索し行動すること。「出会い」も自分の準備がなければ、活かすことができないのではないだろうか。
僕は「水石」に出会った。これは日本で古くからある芸術。室内で石の中に自然のさまざまな風景(宇宙)を感じ取り鑑賞する文化・趣味である。石は川等で採った自然石で、加工等を一切しない。自然のままの石に木製の台をつけたり、水盤と呼ばれる砂を入れた器にいれて鑑賞する。盆栽や掛け軸と組み合わせて展示することもある。そう、盆栽とつながりは強い。
水石はおもしろい。石の芸術表現というのは世界中にいろいろあると思うけど「水石」の一番のポイントは先に書いたとおり「加工はしない」ということだろう。そこにもしろさを感じるか、感じないかが好みが別れるところだ。僕はすごくおもしろいと思った。加工はできない訳だから、後は自分なりの解釈や見立てで価値を感じることになる。では、すべて主観的な世界かといえば、そうでもない。水石には「名石」と呼ばれる石が存在する。そのルールを学びなら、自分なりの好みを考えていく。
所属させてもらっている会の定期的な展示会。出品はまだ早いなと思っていたら会長から「出品も勉強だから」と展示させてもらうことになった。出品した石は北海道の神居古潭石。独特のツヤとダークな色合い。そして、ミニマムなフォルム。ツヤがほどよく落ち着いているのがいい。あと、やはり形である。水石の美意識とは、単に美しいとか、現実の自然の風景によく似ているという基準ではない。石を見た時「自然のイメージ」をどこまでふくらませてくれるか、というのが価値になる。僕はこの石の中に、静かで威厳のある世界がみえる。想像する。それは、すごく前の時代かもしれないし、同時にすごく未来かもしれない。人はいるかもしれないし、いないかもしれない。そんなことを考えていると僕は石をずっと見ていられる。
僕は「石」については、ずっと興味は持っていた。石(鉱石)をつかったアート表現は好きだったし、海や山に行った時、石を拾って部屋に飾ったりしていた。科学用の石見本を買ったこともある。心の中にすこしづつ石に対する興味が重なっていったと思う。その重なりが多くなっていった時に盆栽の会との出会いがあり、そこから水石の収集家の方との出会いがあった。ひとりで石について考えていた「ひとりの時間」。その出会うまでの準備が、僕に「水石」とつなげてくれたと思う。その自分の準備時間がなければ、せっかくの出会いも、人生の中でなにもなく流れていったことだと思う。
Text byアート・メディアライター 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
緑寿会 春季盆栽展
会期:2017年6月10日(土)~6月11日(日)
会場:室蘭市民会館