カメラは何を捉えるのか。「そのものか」。「そのもののようなものか」。「そのものの一瞬か」。
なにかが撮られ記録されていく。カメラ付きの携帯電話。カメラのないものを探すほうが難しい。仕事場で、プライベートで無数に「撮影」が行われ、記録されていく。
時には、ネットの世界にアップされる。それは無数コピーされていく。オリジナルのアップが削除されてもコピーは残る。コピーといっても、デジタル情報はオリジナルと見分けはつかない。また、リサイズ、補正されたり、トリミングされたり。そういった状況は今後も続く。その中で「撮影」というものを
どう考え捉えていくのか。再定義するべきなのか、今までのスタイルをまもるべきなのか、ふと考える。難しく考えるべきではないのか。どうなのか。