WEB MDEIA NUMERO DEUX NEWS No.15018
札幌のアートやカルチャーに関するニュース
細胞のつくっている世界。共同住宅であるカラダ、
そのイメージ、現実、想像。世界を抱えて生きること。
僕は時々、身の引き締まる思いをする。身体がひとつの思考にかたまっていく。その時、僕はどうなっているのだろうか。頭だけの問題ではなく、カラダの中でなにかがおこっているよう気がする。自分の中のたしかな動き。
僕たちの身体は細胞でつくれれている。頭も身体も。動きも思考も。その源は「細胞」なのだ。「細胞」の語源はギリシャ語の「小さな部屋」を意味するという。それは細胞の構造を意味すると思うし、同時に興味深い。すると、僕たちの身体は小さな部屋でできている集合住宅ということなのだろうか。
札幌大通地下ギャラリー 500m美術館は、札幌市営地下鉄の大通駅、その構内にある隣駅のバスセンター駅前をつなぐ通路。その通路の壁面を利用した市が運営するギャラリーである。2006年から展示がはじまった。駅施設内にあるギャラリーとしては国内最長のものである。地下通路が多くかつ、冬が長いため地下通路の利用が多くなる札幌にはひとつの「地下文化」ともいえるユニークな美術施設である。
本ギャラリーで現在、開催されている「早川祐太×高石晃×加納俊輔 三つの体、約百八十兆の細胞」。これは3人のジャンルの異なるアーティストの共同企画。内容は単にそれぞれの作品を展示するグループ展という訳ではなく、それぞれの作品に他の作家2人が手を加える共作ともいえる展示がおこなわれている。
僕の主観では複数のアーティストの共作とは大変難しいものである。アートというのは、アーティスト自身の独自の「源」から発せられる表現であって、結果として観る側=受け手が共有するのは、比較的やさしい。そこにはアーティスト(=送り手)作品を観る人(=受け手)の役割の違いがある。僕はアートもメディアの一種だと思っているから、それはコミニュケーションのひとつとして、アーティストが意識しているかぎり、送り手と受け手の関係性では共有しやすいと思っている。しかし、これがアーティスト同士だと、違ってくる。この関係性では、もともと共有を前提にはしていないと思うし、なぜ、どうやって共有するかがが問題となる。アートの世界ではそこに通常、共通の言語はないと思う。そのあたりはデザインと異なる。デザインには「成果物の(商業的)目的」という最低限度の共通言語はあるので共作はしやすいと思う。
そんなことを考えながら、本展示を観ると、まずそのボリューム感に驚く。そして、共作とはアーティストが他のアーティストによって表現の幅が一種の制限がかかるのではないか?いや、そうでないのか。できているのか、できていないのか、そんなことを頭に思い浮かべながら、この「三つの体、約百八十兆の細胞」を歩くスピードで観ていくことは(時にはもどりながら)一種のスリリングな体験ではあった。作品であり、現場でもあり、アートを考える場でもある本展示をぜひ足を運んでほしい。
今日も(そして明日も)。僕たちは細胞を抱えて生きていく。自分の身体に無数の部屋があると考えれば、日常と異なる思考になれると思う。
Text by メディア・プランナー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
「早川祐太×高石晃×加納俊輔 三つの体、約百八十兆の細胞」
会期 : 2015年9月26日(土)~2016年1月22日(金)
時間 : 7:30~22:00(最終日のみ17:00まで)
会場 :札幌大通地下ギャラリー500m美術館(地下鉄大通駅内)
主催 :札幌市