第04回
「モノを捨てる行為と心の関係」(2013.2.11)
「仕事の字間」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。
昨年末、「エイヤー」という感じだった。CDを処分をしたのは。僕は普通な感じの音楽好きで、今まで何度かは整理はしたものの500枚程度はあったかと思う。これぐらいあると、物理的なスペースを結構とってしまう。また結局は1年ぐらい、いや5〜6年くらいまったく聴かないCDもある。というか、聴いているCDのほうが圧倒的に少ない。
「不要なものを持っている」そういう状況に取り組むのが最近のテーマのひとつでもある。要するに「捨てる」ということですね。
CD、レコードに限らず、「捨てる」という行為にブレーキがかかるのは、「後悔するかもしれない、必要になるかもしれない」という内なる声のささやきである。これはやっかいだ。なぜなら、それは100パーセント否定はできないことだからである。
しかし、よく考えてみた。この問題には深い思考が必要になってくる。それは「このCDがなくなって困ることはあるだろうか?」ということである。僕にとってCDは娯楽でしかない。生活の必需品ではない。そして、なんといっても処分前にiTuesにいれておけば聴くことができる。あとは、物理的なCD盤やジャケットを持っていることが大事か、ということである。もちろん、データーは消失の可能性はあるが、今のご時勢その可能性は少ないし、バックアップも可能だ。ジャケットは惜しいけど、音楽を楽しむ本質では困らない。そして、ダメ押しはどうしても手放したことが後悔するなら、大部分のものは再購入可能である。また、YouTubeでも聴けるしね。コレも大きい。
結局、僕はほとんどが聴かないCDを持っている理由は気分的にあるかと思っていたけど、実はそれもなかったと結論が出た。これは大事なことで、僕はメンタルとして持つ理由はあると信じていた。だから持っていた。しかし、自分の中で検証してみると、持つ理由がないのに持っていたのである。
この「自分のメンタルの問い合わせは」はとても大事だと思う。僕は物理的、実用的な理由はなくても、気分で持っていたい、というところは僕は大事なことだと思うし、大切にしたい。人間は実用性だけでは生きられないだから。でも、僕は自分の心に深く問い合わせてみると、気持ちとしてもCDは不要だった。
そして、処分してわかるのは、人間はモノを捨てれば、捨てるほど心が軽くなる、ということである。それは実感としてある。ヒトは必ず持たないといけないものに意識を集中するために、不要なモノは捨てるべきだと思った。
文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)