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NEWS No.17007-7「『バイラル』という人とカフェはいけない。」

2017.01.28

baital

メディアというのは「人」であると考えてみる。すると、古くは「本」さん、「ラジオ」さん、「テレビ」さんなど出てくる。それで、今の時代の注目を浴びるのはご存知「インターネット」さん。だが彼(彼女)は他のメディアさん、よりいろんなことができる。そのため、より細かい人物(キャラクター)がいて、活動している。

その中の「バイラル(メディア)」さんはあまりにも複雑だ。僕には近づきがたい雰囲気を感じる。嫌い、というより苦手に近い。なぜなら、彼は何を考えているかわからない。でも、彼(彼女)は僕に興味のありそうな情報を次々と24時間発信してくる。僕は彼と液晶画面越しに交流する。カフェでむかい合って座るように。

でも、彼から発信される情報をいくら読んでも、読んでも「彼」を理解することができない。いくら画面をスクロールしても、次のページに進んでも、彼の心の中を感じ取ることができない。その理由はわかる。多分、彼には心がないのだ。良い心も、悪い心もない。

彼は今の時代のキャラクター。その人格は巨大なエネルギーと、心の不在だと思う。僕、良くも悪くもメディアには「心」が必要だと思っていいる。心とはメディアにおける、考え、センス、ポリシーで根本になるものである。

しかし「バイラル」さんは、本体がいない多重人格者であり、どこまでも本質がみえない。それが僕が恐怖なのだ。少しくらいワルでもいい、下品でもいい、メディアには「心」があって欲しい。正直、心のないメディアがつらい。メディアというのは、ひとつの「考え」をもとに作り出されるものだと思う。それが「心」になる。

「なんでもありの心?」それは心じゃない。心の不在を説明しているだけだ。たしかに、マルチなメディアも存在する。しかし、そのマルチもひとつの「考え(心)」から成り立っていることがファンならわかる。でも、「バイラル」には、どこまでも合わせ鏡のような多重人格性しかみえないのだ。

僕は多分、古いタイプの編集者なのだと思う。心をつくって、メディアを作る。心の無いものはメディアではない。僕はその考えを変える気はないし、変えられないのだ。なぜ、魂がないのが嫌なのかというと、僕はメディア(=表現)にはどこか情緒が必要だと思う。でも、心なきメディアには情緒はない。それが僕には恐ろしいのだなぜなら、そこに人間性がないから。

Text by
アート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 


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