「室蘭民報」に僕が書いた原稿が掲載されました。
そのことと「文章を書く」こと。考える。
文(テキスト)はおもしろい。そして、人をまやかす。たとえ、結論が同じでも文体が異なると受け取り方も変わってくる。さらには文書ののっているメディア(媒体)からも変わってくる。新聞にのっている文、SNSにアップされた文、ポストイットに書かれた文章そして、今日書かれた文、1年前に書かれた文。僕が文について考えることを書いていこう。
まったく同じ「文」であっても、掲載された「媒体」や「時」によって変わってくる。そして、最終的にはその「文」を読んだ人間の感じ方でも変わるだ。そんなことを考えると、文章を書くのを難しくなってくる。文には、その文字そのものという「内面」と、どういった媒体(メディア)や時(タイミング)で出るかという「外面」の2つがあるのだ。「内面」と「外面」。まるで人間のようではないだろうか?
室蘭民報は、室蘭及びその周辺をカバーしている新聞。地元の話題を幅広くカバーしている。住んでいる人間には本当に身近なのニュースが掲載されるのでおもしろいし、外の人間にはそのまちの様子知るための信憑性の高い情報源だと思う。紙メディアの時代からある「新聞」というメディアは媒体が変わっても、ありつづけで欲しいと僕は思う。「昔からある」というのもメディアの重要な要素だ。
その中「忙中閑」というコラムがある。これは、新聞によくある社の人が書くコラム。朝日新聞なら「天声人語」と同じ種類のもの。「忙中閑」は年に1〜2回一般の原稿を募集することがある。それに応募したところ掲載された。
この原稿を作っている時「選ばれればいいな」と思った。そして「どうしたら選ばれるかな」と思った。そこで僕が考えるのは、最初に書いた「媒体」や「時」である。原稿は、その内容である「内面」は大切だ。同時に「どんなメディアに掲載されるのか?」「どんなタイミングで発表されるのか」という「外面」を考えるのも大事なのだ。そして、誰が読むかということ。
僕は文を書くとき「自分のいいたいこと」とにあまり集中しない。僕は「いつ」「何に」書くのことに一番集中する。
Text by メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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掲載原稿全文 室蘭民報 朝刊 2017.09.05
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題名:「誰のための早さ」 石川伸一
「早く、早く」。そんな声が聞こえてくる。誰の声かといえば、自分の声。それは口か
ら発せられたものではない。心から発せられた声なのだ?▼今は「早さ」の時代だ。例
えばインターネットで素早く注文して、できるだけ早く手元に欲しい。その他ことでも
、手続は早く進めて欲しい、結果は早く知りたい…▼早さを求め、同時に求められ、ス
トレスを感じてしまう。そんなことが日常となっている。きっと今の時代に生きている
誰もが感じていることではないか▼「早起きは三文の徳」「善は急げ」と早さに関する
格言は多い。その意義は現在も変わらない一面はある。しかし、今はこれに一考が必要
となっている▼現代では時には意識して「ゆっくり」を考えないといけない時代だと思
う。技術の発展はコンピューターの発明によって、人間の能力をはるかに超える早さが
可能になった▼それは昔を生きた人々の想像を超えたものになっている。私たちはいつ
のまにか機械から生まれた「早さ」のいいなりになって、窮屈になっていないか。つら
くなっていないか▼これからを豊かに生きていくには「早さ」だけを求めてはいけない
。「ゆっくり」でいいことも、みんなでわかり合うことが大切だと思う。(石)