言葉に「あやつる」ものではなくて、
「あやつられる」ものなのだ。
言葉に負けつづき。そこに詩人あらわる。
これは「言葉」の誰がコントローラーを持ってるのか、
という問題で
自分が両手にしっかり持っていたと思ったら
実はその上から「言葉」というガッチリ大きな手
で押さえられている。
だから、僕はその大きな手のいいなり
右にいきたくても、左に行ってしまう。
それはそれでいいのだけど。
「そんな大きな手なんてない!」
というなら、多分細いテグスの糸だろう。
はるか上からあやつられている 上がブルーの雲
ただ、みんなそうだから 深刻に考えることはない
言葉にあやつられている
そんな世界で、詩人とは するりと抜けて
かろやかに遊ぶ人。
文月悠光もその一人
本作の文月悠光の
余白多く、詩のある原稿用紙タイツ!
言葉が肉体をあたえられる。
これは言葉も困るだろう。
それにニヤリとできる。
あやつられる言葉ばかりではつまらない。
これはとてもポップであやつる方法
言葉から離れた、楽しい気持ち。
文月悠光(1991生)は札幌出身、東京在住の詩人。詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。 エッセイ集に『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』 (立東舎)がある。また、NHK 全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座なども開いている。
「500m美術館Vol.26『最初にロゴス(言葉)ありき』」より
会期:会期 : 2018年4月27日(金)〜2018年6月27日(水)
会場:500m美術館(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)
Text by
メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜アートとメディアについて考えて、書くのが好きです。