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今も多分そうなのだけど、僕は情報は多ければ、多いほど良いと思っている。それは、仕事とかに限らず、生活全般すべてのコトである。つまり「生きている上で情報が多いのは幸せであり、情報がないのが不幸」だということ。情報があったから、ベストな選択ができたり、うまくいったり、助かったりすることがある。それらはリアルな体験としてあるから、情報の多さという状況についてベストに感じる。もちろん、情報の中では無益な、もっといくと有害なものある。そういったノイズは入るのはしょうがない。それでも情報の多いほうが善なのだ…ただ、最近は今さらになってその考えは揺らいでいる。
情報についての素敵なおつき合い仕方のために、心の中を2階建ての建物にしたい。1階はオフィス。2階がベッドルーム。1階はモダンでミニマムなオフィスがいい。常に情報に対してオープンでなければならない。情報を受け入れ、判断し、処理していく。2階は木目を生かしたシンプルな自然素材で囲まれた寝室がいい。そこには「情報」は持ち込まない。電化製品はベットそばに置くスタンドライトだけ。
僕は、今ごろ気がついたのだけど、情報というのはそれが、TVやネットなどの娯楽や興味を持って楽しむものでも、その時が楽しいので気がつかないが結構、疲労するのだ。そこに人と対面で話すようなコミニュケーシションの場合、それがうまくいけば「心地良い疲労」となり気分転換になるけど、ネット等の場合は、おもしろい情報を読んだとしても、結果的には疲労になっているような気がする。長く書きましたが、結論は1行「ネットサーフィンのやりすぎは良くないなぁ。僕、反省します」ということです。