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NEWS No.17048「11.3 kagajominowa「Q&Q」展 アーティスト・トーク 」

2017.10.30

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トークイベントでゲストをするお話です。
PRとトークイベントのメディア性について。

開催中の kagajominowa「Q&Q」展 。文化の日にはトークイベントも開催されます。僕もゲストで登場します。そのための打ち合わせをしてきました。そのこととトークイベントのゲストをすることについて書いてみます。

加賀城匡貴と蓑輪俊介のユニットであるkagajominowa。現在、本ユニットの初の個展「Q&Q」展 が、大通公園の西端にある札幌市資料館で開催中だ。それは新しい映像の展示。もう体験しただろうか? 本展示は11月5日(日)まで開催されるが、終了日の2日前の祝日である文化の日、展示会場にて「アーティスト・トーク」が開催される。これはふたりの生の声が聞ける貴重な機会。本展示にまだ観ていない方には、これをめがけてぜひ来てほしいし、もう見た方もトークを聞くことによって、本展示の世界がより楽しめると思う。おさらいができますよ。

本アーティスト・トークは2部構成を予定。前半では、ふたりのプロフィール。後半では2人の本展示について僕もゲストとしてトークに加わります。そのための打ち合わせに10月28日(土)の午前中、在廊中の2人を訪ねてみました。会場の札幌市資料館1階にはSIAFラウンジという、アートの記録や書籍のあるカフェがあります。そこで、雑談も兼ねていろいろ話をさせていただきました。同時に楽しい時間でもありました。

実は雑談が一番多かったかもしれません。僕は今回のようなトークイベントの打ち合わせでは、あんまり突っ込んだ話をしないようにしています。なぜかというと、それをすると本番のトークのネタに新鮮さが失われる場合があるからです。だから、打ち合わせではトーク本番では話せそうな話題は探るけど、あまりくわしく話さないようにしています。

でも、それじゃ打ち合わせにならないのでは?と思うかもしれない。いいや、いいのだ。会話をすれば相手の会話のリズムを理解することができる。話し方の雰囲気を知ればそれは十分打ち合わせになると僕は思う。

僕は今まで、何度かトークイベントに呼ばれたことがあります。人前でしゃべるのは大変です。でも、こういった話はできるだけ受けることにしています。それはなぜか、僕はゲストでトークすることも一種の「メディア」活動だと思っています。メディアとは紙やウェブだけではありません。人がしゃべることもメディアだと思うのです。僕はゲストでトークするとき、自分自身が「メディア」として機能することを意識します。アーティストと「トーク」という方法で、情報を収集して、頭の中で編集して自分の言葉にして口から発します。それは自己のメディア化です。

kagajominowaについて、話をさせていただくのは大変素晴らしい体験です。なぜなら、彼らの表現は僕自身がファンであり、そして簡単には説明できない魅力があるからです。それをトークイベントにて自分がメディアになることによって、紹介をできる機会をいただけのですから。

僕が2人と打ち合わせをして感じたのは、根っからのアーティスト気質をもちながら、なかなか「アーティスト」と名乗らない加賀城匡貴。そして、CM映像のプロデュース・企画演出等を手掛ける商業的なクリエティヴを得意とする蓑輪俊介。この2人が挑戦する表現はなんなのか? その点をみなさんにわかりやすく伝えるトークできればいいなと思っています。

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kagajominowa「Q&Q」展
期間:2017年10月17日(火)〜11月5日(日)
会場:札幌市資料館 2階 SIAFプロジェクトルーム(札幌市中央区大通西13丁目)
開館時間:10:00〜18:00 休館日:月曜日
入場料:無料
主催:kagajominowa
協力:SIAFラボ

 

<関連イベント>
アーティスト・トーク(無料) 11月3日(金・祝)15:00〜16:30
アーティスト:kagajominowa ゲスト:石川伸一(メディアリサーチャー) 司会:森脇俊文

 

 

 

 

 

 

ishikawa
Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 

NEWS

NEWS No.17047「SAIF (札幌国際芸術祭) 端聡『液体は熱エネルギーにより気体となり、冷えて液体に戻る。そうあるべきだ。2017』」

2017.10.29

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札幌国際芸術祭 私的な感想ふたつめ
ひとつめはこれ → http://numerodeux.net/?p=17491

僕は飲めない。
「すすきの」という場所と芸術祭。

僕は札幌で生まれて育った。そして、お酒は飲めない。それでも「すすきの」という場所はこの「まち」の特性を考えた時、重要な場所だと思う。SAIF (札幌国際芸術祭)は、その名のとおり「札幌」の「お祭り」である。だから「まちのお祭り」でなければならない。まちの中にアートがなければならない。それが僕の持論なんだ。だから、芸術の森や、モエレ沼公園で優れたアート展示をおこなうだけでは、「芸術祭」としては足りないと思う。それだけでは「祭り」の非日常とはいえない。祭りとするなら、この「まち」がアートに「侵食」されることが必要なのだ。アートがまちから”にじみ”でることが。

端聡は札幌の代表的な現代美術作家。本芸術祭では、すすきのの雑居ビルの空き空間をつかって展示をおこなった。展示は2つの空間を使っている。入ってすぐの空間では、平面作品の展示がある。これは端聡という作家を理解するためのスタンダートな内容となっている。そして、奥にあるもうひとつの展示空間。そこに入ると、まるで最初の平面展示が優秀なイントロダクションだったように感じる。具体的には、暗闇の中におおがかりなインスタレーション作品が出現する。それは映画のように、または神話のように。

暗闇に照らされる水蒸気が吹きあがっている装置。僕はふとスチームサイバーを連想するが、それよりもストイックさを感じる。よく観察すると、水が蒸気となり再び水として循環していることがわかる。まるで永久期間のように。エネルギーを考えよう。僕達の生活はエネルギーを消費することで成立している。そして、すすきのはまさに巨大なエネルギーの消費装置だ考えることもできる。

世の中の大部分の私達は、エネルギーを消費することで生きてきた。しかし、消費だけをただ漫然と続けることは物理的にも、そして精神的にも限界がきている。しかし、エネルギー消費を拒否することはもちろんできない。私達のできることは、今までのように無頓着に消費することから少し進んで考えて行動すること。ちいさなエネルギーの節約、さまざまなエネルギー源の可能性。そんなことからやっていけばいい。大切なことは考えること。

本インスタレーション作品は、エネルギーを考える現代のアイコンだと思う。そして、すすきのという札幌のもっともコアな消費地で展示がおこなわれたことは、展示場所も含めた強力なファインアート作品だと僕は思った。そのまちの現実とリンクすること。それが僕は「まち」でおこなう芸術「祭」の大事なことだと考える。

ishikawa
Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 

NEWS

NEWS No.17046「SAIF (札幌国際芸術祭) 梅田哲也『わからないものたち』」

2017.10.21

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札幌国際芸術祭
私的な感想。デパートの残りにある記憶と作られた空間。
僕のみたいものがあった。

札幌国際芸術祭は、札幌市が主催する芸術祭である。今年で第二回目を迎えた。僕は札幌という都市で芸術祭をおこなのは難しいと思っていた。それはなぜだろう? 思いながら、うまく文章にできない。それを文章にしようと思う。札幌の中心部は、大通公園をはさんで、銀行や証券会社や商業施設や、北最大の繁華街すすきのにつながる。このあたりの文化的な施設としては、大通公園、札幌時計台ぐらいかなという感じがする。大通公園は通年さまざまな行事がおこなわれているが、アート表現とは少し違う感じがする。でも、大通周辺は、まさに札幌の中心であり、芸術祭をやるならこのエリアでやることが必須だと思う。一番人が集まり、流動性のあるところがいいだろう。

今回の芸術祭では、その部分が初回より強化されたのがとても良かった。札幌市の郊外には「モエレ沼公園」や「札幌芸術の森」といった、国内でも有数のアート施設がある。しかし、これらにいくらスペシャルな展示おこなっても「芸術祭」にはならない気がするのだ。美術施設ではない、場所でアート展示をする、というのは今ではありがちテーマではあるが、札幌という場所では特にその点を強く意識しないといけない。ないところに一定期間ある異空間が「祭り」だと思うから。

金市館という デパートが昔あった。過去形であって3年前にデパートという形態は閉店した。現在はパチンコ店であるが、1970年代からある札幌中心部にある代表するデパートのひとつであった。デパートといっても、丸井、三越のような、高級ブランドを取り扱い、というよりも庶民的で手頃な商品が集まったデパートであり「デパ地下」の食料品エリアも、日常の買物をするような品揃えであった。それでも8階建ての立派な建物であり、各階が「婦人ファッションのフロア」「インテリアのフロア」といったふうに、キチンと分けられていた。

8Fの特設会場では、よく「古本市」や「中古レコード市」が定期的におこなわれていたのでよく足を運んだ記憶がある。また、同じフロア常設は「フィンランドインフォメーション センター」というフィンランドを紹介しているコーナーがあって、これはとても文化的な香りのするとろこで、情報も更新されていてよく見た記憶がある。昔話をしすぎたかな。なにかがなくなっても記憶は残る。そこを僕は必要以上に大切には思わない。でも、自分を構成する一部にはなるのだ。

梅田哲也の作品「わからないものたち」は、この金市舘だった建物の現在は使っていないフロア7階300坪の空間を使った作品である。そこは、昔はたしか健康関連のフロアで、何度か行った記録がある。そして、現在。入ってみるとその面影は一切ない。すべては運び去られ、剥がされた。残るは骨組みだけの空間。あるのは「ここ」にあるとう地理的事実だけ。でも、アート作品になるのはその事実だけで十分だ。

がらんとしてむき出しの空間の中に、廃品や不思議な実験機器のようなオブジェがある。全体の空間がインスタレーションになっていて、まるで前衛的なSF映画のセットに迷い込んだ気分になる。現実に戻されるのは、窓からの風景。そこにはみたことのない札幌の空間がみえる。それはそうだ。このフロアがデパートの頃、窓から外を見た記憶はない。

僕はその時、札幌の中心部にいた。でも、そこはあまりに不思議な空間だった。都市の真ん中にある。なにも売っていない、サービスもない空間。想像力が楽しめるフロア。そして、窓から見えるいつも札幌。そうそう、僕がSAIF札幌国際芸術祭で見たかったのは、こういう作品なのです。

ishikawa
Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 

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