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NEWS No.17031「吉野隆幸 12メートルの貧乏紙・貧乏神 500m 美術館vol.22「北の脈々 -North Line2-」」

2017.07.12

吉野隆幸

家の中にダンボール箱がたまる。月に一回程度業者さんに引き取ってもらう。たまったそれらは、折りたたんで目立たないところにしまっておく。僕が欲しかったのはダンボールではない。ネットで注文して、ダンボールで梱包された商品が欲しかったのだ。だから、ダンボールの中のアイテムを取り出したら、宛先シールとビニールを剥ぎ取り、ダンボール素早く折りたたむ。業者に渡すことがリサイクルだと信じる。

ダンボールがまだ一般的では無い時代は、運送には木箱が使われていたそうだ。僕はその点でリアルな体験はない。古い映画で木箱に入った荷物をみたことはある。その中には、りんご木箱もあったと思う。僕にとってりんごの木箱は、歴史の中の出来事だ。

吉野隆幸は、1957年生まれの北海道の美術作家。流木等の木材をつかったオブジェやインスタレーション作品を制作・発表している。本作はりんごの入っていた古い木箱を素材にして、神を具現化した作品となっている。りんご箱と神、というと最初は僕にはさっぱりわからなかった。神も未知だが、りんご箱も同じくらいわからない。

想像してみる。りんご箱がダンボールの先代だとする。僕はネットで注文したものが木箱に運ばれてくるというのが大変イメージしづらい。受け取って運ぶのはすごく大変そうだし、簡単にたたむこともできない。いや、たたんでいいのかもわからない。無視できない存在感がある。昔はこの「たためない箱」が必要なもの(りんご)等をいれて全国に運ばれていた。木箱には「運ぶ」というたしかな、存在感があったのだと思う。

りんご木箱が運送に活躍して時代は、当然インターネットもなかった。電話や手紙によって、木箱は日本全国をまわったいたのだろう。クリックひとつのネット注文の実体感のなさとダンボールの存在感の薄さは「運送」という行為を、無視している訳ではないけど、感じないものにしてしまう。

では、本作に表現される神についてはどうだろうか。僕は神はいるとは思ってはいる。自分にとって神とは科学や理屈を超えた存在。信じたほうが人生を生きやすい。なぜかって?人生の不条理を受け入れやすいのだ。ロジックだけで人生を切り抜けるには人生は複雑すぎる。では、りんごの木箱は?これに感じるのは過去のツールであり「思い出すもの」である。そう、りんご木箱自体は過去に存在した道具にすぎないが、それを「運送」という行為を思考させるオブジェになりうる。ただ、それだけの存在では感じ取るのは難しい。ただの箱なのだから。

吉野隆幸は、本作でりんご木箱を素材に使うことによって「過去」と「運送(はこぶ・はこばれること」を「神の目」によって考えさせるアート作品をつくりあげた。ワンクリックなネット時代が進めば進むほど、僕達は自分おこなう行動の意味性を考えなくなっていく。残るは即物的な欲求の満足だけである。しかし、それだけでは砂糖水を飲み続けるようなものである。喉は乾き、体にも悪い。本作のような記憶の可視化と思考をうながす作品は、人が生きやすい行動のための大切なヒントをくれると思う。

ishikawa

Text by
アート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

吉野隆幸  12メートルの貧乏紙・貧乏神
500m 美術館vol.22「北の脈々 -North Line2-」」
会期:2017年4月15日(土)~7月5日(水)
会場:札幌大通地下ギャラリー 500m美術館(札幌市営地下鉄大通駅内)

 

 

NEWS

NEWS No.17030「カフェのBGMについて…『カナル』(洞爺湖町)」

2017.07.09

 カナル1

カフェとBGM。あたまのなかのやりとり。

僕はカフェのBGMが気になる。いや、それだけでははない。実はあらゆる場所で気になる。例えば、僕が過去に行ったある歯医者さんでは、いつもブラックミュージックがかかっていた。口の中をデビッド・クローネンバーグが好きそうな、いろいろな道具で治療されながら「なぜブラック・ミュージックなのか」と考えていた。そうされながらヒップホップが多いな、と思った。

話はズレるが、歯医者さんの待合室に漫画「ブラックジャック」があったことも報告したい。その体験は一度ではなく複数回。だから、どこがそういう傾向があるのはないだろうか…脱線しました。話を戻します。お店等の室内空間にかかるBGMというのは、僕はとても大事だと思う。インテリアも大事だが、BGMはもっと大事だ。なぜなら耳に入るものは無視が難しいからだ。

僕が時々感じるのが、カフェ等の飲食店で「接客も、インテリアもいい。でも、BGMが残念」ということだ。これって、純粋にセンスの問題だから意外と難しいことだと思う。自分の好きなお店はBGMがいい。BGMが悪いとお店も悪く感じてしまう。しかしながら、BGMというのも趣味の問題であり、それによって僕に好かれたり、嫌われたりするのはお店にとっては迷惑なことだと思うし、余計なお世話といわれれば、まったくそのとおり。反論できません。申し訳ありません。

先に書いた歯医者のブラック・ミュージックだって、それが悪いのか?と聞かれれば、それを僕は理屈では説明できない。僕が勝手に思っている問題なのだ。うるさすぎないBGMがあれば、一般的にはそれですべてOKではないか。僕の個人的なこだわりとして、はじめてのカフェに入った時に、最初に気になるのはインテリア、そして次はBGM。言いたいことはそれだけ。

カナルは先に紹介したゴーシュのすぐ近くにあるお店だ。時間に余裕があるなら、この2つのカフェをハシゴしてみるのもおすすめする。カナルは食事メニューがあるので、ここでごはんとお茶を楽しむのがいいかもしれない。お店に入ると傾斜地にあるこのカフェの構造は天井も高。なかなかユニーク。思ったより広い空間を感じさせる。外に出られるテラスもあり、身近な緑も楽しいし、洞爺湖の眺めもバッチリで美しい。インテリアもシンプルで心地よい。ランチはミートボールをメインにした、しっかりとして食べごたえがあり、おいしかった。一緒に飲んだレモネードもおいしかった。

そして、僕はこのお店のBGMが好きだ。エレクロトロニカから、シンプルなアコーステックなポップ・ミュージックとお店のシンプルでモダンな雰囲気に合う音楽が流れていた。選曲はたまたま、そうだったのか、いつもそうなのかは、一度の体験ではわからない。僕はBGMを確認し繰り返し行ってみたいお店だ。もちろん、それ以外も素敵だから行きたい気持になるのは言うまでもない。

Text byアート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
カナル2

「カナル」
北海道虻田郡洞爺湖町月浦44-506
http://cafekanal.blogspot.jp/

 

 

 

 

NEWS

NEWS No.17029「喫茶店、カフェとは?…『ゴーシュ』(洞爺湖町)」

2017.07.09

 IMG_7161

カフェが好きなら。カフェに行こう…
近頃、喫茶店という呼び方とは使われなくなっていると思う。この呼び名の「喫」という字は「喫煙」のことだから、これからはますます使いにくいだろう。今、思ったけど完全禁煙のカフェだと「喫茶店」という分類ではだめなのか。スターバックスは喫茶店ではない訳だ。または喫煙できない喫茶店?喫茶店という呼び名が生まれた時、まさか禁煙のお店ができるとは、思わなかっただろうな…と思うと時代の流れを感じる。おいしいお茶とタバコを切り離された。

さてさて、喫茶店は今は「カフェ」という呼び名に変わりつつある。このカフェという呼び名も広がりがある。就業支援施設に「ジョブカフェ」とつけたり、イベントにカフェという名称をつけるのも見かける。するとカフェって何?という疑問も出てくる。そこを説明するなら、お茶だけか、お茶メインの飲食店をカフェ。または、飲食関係なく不特定多数の人が、利用や相談したりする施設、交流する場をカフェという呼び名を使っているようだ。カフェは単なる飲食のお店だけを指ささなくなっている点は興味深い。カフェとは「場」の概念ということか。この話は別の機会にも書いていきたい。

さて、これからは僕が考える好きな「カフェ」の話をしたいと思う。僕はカフェとはお茶をメインに提供する飲食店。飲み物は珈琲であって欲しい。これは単なる自分の好み。もちろん、紅茶や日本茶もありだと思う。でも一番は珈琲。黒くて苦い、悪魔のような液体を楽しみに行くのだ。内装はシンプルに。カフェにおける「ホワイトキューブの思想」でおねがいしたい。外の良い眺めはあっても、なくてもいい。お店の居心地さえよければいいのだ。喫煙についてはもうNGの時代だとは思う。もちろん、喫煙できるカフェもあってもいい。棲み分けの問題だと思う。

お茶以外のメニュー、デザートや食事については、僕は「あっても、なくてもいい派」。なぜなら、カフェはお茶と空間を楽しむ場所だと思っているから。それに食事メニューが充実しすぎていると、少しお店を騒がしくなる気もする。だから「僕はお茶だけでも、まったく問題ない派」で限りなく「お茶だけでいい派」。お腹が空いたら?…カフェを出てレストランにでも行けばいいじゃないか!ラーメン屋でもOKだ。そして、カフェに来ればいい。

カフェは何をする場所なのか?
それは、自分で決める場所なのである。
僕はカフェで考え事をするのが好きだ。「考える」というのは意外に難しい。
良い思考には「自宅ではなく、居心地の良い場所」がいい。
もちろん、自宅や仕事場でも思考はできるし、できなければいけない。
でも、カフェの思考は、楽しみと兼ねているところがいい。

洞爺にあるカフェ「ゴーシュ」は、洞爺湖がよく見える高台に位置するちいさなカフェ。木材を自然に使った明るくシンプルな店内。BGMはクラシック音楽。そして、おいしい珈琲。ひとりか二人くらいで来るのがいいお店だと思う。混雑も予想できるので、のんびりとしたスケジュールで来たい。

Text by  アート・メディアライター
石 川 伸 一 (
NUMERO DEUX)

「ゴーシュ」
北海道虻田郡洞爺湖町月浦150-2
http://www13.plala.or.jp/gauche/

 

 

 

 

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