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NEWS No.17030「カフェのBGMについて…『カナル』(洞爺湖町)」

2017.07.09

 カナル1

カフェとBGM。あたまのなかのやりとり。

僕はカフェのBGMが気になる。いや、それだけでははない。実はあらゆる場所で気になる。例えば、僕が過去に行ったある歯医者さんでは、いつもブラックミュージックがかかっていた。口の中をデビッド・クローネンバーグが好きそうな、いろいろな道具で治療されながら「なぜブラック・ミュージックなのか」と考えていた。そうされながらヒップホップが多いな、と思った。

話はズレるが、歯医者さんの待合室に漫画「ブラックジャック」があったことも報告したい。その体験は一度ではなく複数回。だから、どこがそういう傾向があるのはないだろうか…脱線しました。話を戻します。お店等の室内空間にかかるBGMというのは、僕はとても大事だと思う。インテリアも大事だが、BGMはもっと大事だ。なぜなら耳に入るものは無視が難しいからだ。

僕が時々感じるのが、カフェ等の飲食店で「接客も、インテリアもいい。でも、BGMが残念」ということだ。これって、純粋にセンスの問題だから意外と難しいことだと思う。自分の好きなお店はBGMがいい。BGMが悪いとお店も悪く感じてしまう。しかしながら、BGMというのも趣味の問題であり、それによって僕に好かれたり、嫌われたりするのはお店にとっては迷惑なことだと思うし、余計なお世話といわれれば、まったくそのとおり。反論できません。申し訳ありません。

先に書いた歯医者のブラック・ミュージックだって、それが悪いのか?と聞かれれば、それを僕は理屈では説明できない。僕が勝手に思っている問題なのだ。うるさすぎないBGMがあれば、一般的にはそれですべてOKではないか。僕の個人的なこだわりとして、はじめてのカフェに入った時に、最初に気になるのはインテリア、そして次はBGM。言いたいことはそれだけ。

カナルは先に紹介したゴーシュのすぐ近くにあるお店だ。時間に余裕があるなら、この2つのカフェをハシゴしてみるのもおすすめする。カナルは食事メニューがあるので、ここでごはんとお茶を楽しむのがいいかもしれない。お店に入ると傾斜地にあるこのカフェの構造は天井も高。なかなかユニーク。思ったより広い空間を感じさせる。外に出られるテラスもあり、身近な緑も楽しいし、洞爺湖の眺めもバッチリで美しい。インテリアもシンプルで心地よい。ランチはミートボールをメインにした、しっかりとして食べごたえがあり、おいしかった。一緒に飲んだレモネードもおいしかった。

そして、僕はこのお店のBGMが好きだ。エレクロトロニカから、シンプルなアコーステックなポップ・ミュージックとお店のシンプルでモダンな雰囲気に合う音楽が流れていた。選曲はたまたま、そうだったのか、いつもそうなのかは、一度の体験ではわからない。僕はBGMを確認し繰り返し行ってみたいお店だ。もちろん、それ以外も素敵だから行きたい気持になるのは言うまでもない。

Text byアート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
カナル2

「カナル」
北海道虻田郡洞爺湖町月浦44-506
http://cafekanal.blogspot.jp/

 

 

 

 

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NEWS No.17029「喫茶店、カフェとは?…『ゴーシュ』(洞爺湖町)」

2017.07.09

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カフェが好きなら。カフェに行こう…
近頃、喫茶店という呼び方とは使われなくなっていると思う。この呼び名の「喫」という字は「喫煙」のことだから、これからはますます使いにくいだろう。今、思ったけど完全禁煙のカフェだと「喫茶店」という分類ではだめなのか。スターバックスは喫茶店ではない訳だ。または喫煙できない喫茶店?喫茶店という呼び名が生まれた時、まさか禁煙のお店ができるとは、思わなかっただろうな…と思うと時代の流れを感じる。おいしいお茶とタバコを切り離された。

さてさて、喫茶店は今は「カフェ」という呼び名に変わりつつある。このカフェという呼び名も広がりがある。就業支援施設に「ジョブカフェ」とつけたり、イベントにカフェという名称をつけるのも見かける。するとカフェって何?という疑問も出てくる。そこを説明するなら、お茶だけか、お茶メインの飲食店をカフェ。または、飲食関係なく不特定多数の人が、利用や相談したりする施設、交流する場をカフェという呼び名を使っているようだ。カフェは単なる飲食のお店だけを指ささなくなっている点は興味深い。カフェとは「場」の概念ということか。この話は別の機会にも書いていきたい。

さて、これからは僕が考える好きな「カフェ」の話をしたいと思う。僕はカフェとはお茶をメインに提供する飲食店。飲み物は珈琲であって欲しい。これは単なる自分の好み。もちろん、紅茶や日本茶もありだと思う。でも一番は珈琲。黒くて苦い、悪魔のような液体を楽しみに行くのだ。内装はシンプルに。カフェにおける「ホワイトキューブの思想」でおねがいしたい。外の良い眺めはあっても、なくてもいい。お店の居心地さえよければいいのだ。喫煙についてはもうNGの時代だとは思う。もちろん、喫煙できるカフェもあってもいい。棲み分けの問題だと思う。

お茶以外のメニュー、デザートや食事については、僕は「あっても、なくてもいい派」。なぜなら、カフェはお茶と空間を楽しむ場所だと思っているから。それに食事メニューが充実しすぎていると、少しお店を騒がしくなる気もする。だから「僕はお茶だけでも、まったく問題ない派」で限りなく「お茶だけでいい派」。お腹が空いたら?…カフェを出てレストランにでも行けばいいじゃないか!ラーメン屋でもOKだ。そして、カフェに来ればいい。

カフェは何をする場所なのか?
それは、自分で決める場所なのである。
僕はカフェで考え事をするのが好きだ。「考える」というのは意外に難しい。
良い思考には「自宅ではなく、居心地の良い場所」がいい。
もちろん、自宅や仕事場でも思考はできるし、できなければいけない。
でも、カフェの思考は、楽しみと兼ねているところがいい。

洞爺にあるカフェ「ゴーシュ」は、洞爺湖がよく見える高台に位置するちいさなカフェ。木材を自然に使った明るくシンプルな店内。BGMはクラシック音楽。そして、おいしい珈琲。ひとりか二人くらいで来るのがいいお店だと思う。混雑も予想できるので、のんびりとしたスケジュールで来たい。

Text by  アート・メディアライター
石 川 伸 一 (
NUMERO DEUX)

「ゴーシュ」
北海道虻田郡洞爺湖町月浦150-2
http://www13.plala.or.jp/gauche/

 

 

 

 

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NEWS No.17028「出会いについて…緑寿会 春季盆栽展に出品したこと」

2017.07.06

緑寿会石川

人生の味わいは、自分の「環境」の影響が大きい。その言葉はとても専門的に思える。でも、難しく考えることはない。それはだれにでもあるもの。いいかえれば、今自分のいる「まわりのこと」である。それは、住んでいる地域、家、職業、健康・心理状態、人間関係がミックスされている。極めて複雑なミックスケーキなのである。そう、人生はケーキなのだ。

その「ケーキ」の味は定まっていない。社会というフライパンの中でゆらゆらゆれている。焼きあがるのが人生。それまで僕をハラハラ、ドキドキさせる。もちろん、そこには喜びや楽しみもある訳。自分にとっては人生とは日常とハプニングだと思う。これは人によって違うのだろうか?

半年前から住む「環境」(まわりのこと)が変わった。すると日々の生活も変わってきた。いい出会いもあった。僕にとって出会いは、いつも自分が変わるきっかけとなる。ここで、大切なのは原則として人生に出会いは大事だけど「出会いを求める」のが人生ではない、ということだ。ひとりの時間で、さまざまな自分を作っていく。そうしている中で、ある時にいい出会いにつながる。それがいいと思う。

繰り返そう。出会いを求める行動が一番前に出るのは良くないと僕は思う。もちろん、出会いを意識するのは大事。ただ出会いを良い結果にするためには、日々の自分の中の準備だと思う。それは「ひとりの時間」で思索し行動すること。「出会い」も自分の準備がなければ、活かすことができないのではないだろうか。

僕は「水石」に出会った。これは日本で古くからある芸術。室内で石の中に自然のさまざまな風景(宇宙)を感じ取り鑑賞する文化・趣味である。石は川等で採った自然石で、加工等を一切しない。自然のままの石に木製の台をつけたり、水盤と呼ばれる砂を入れた器にいれて鑑賞する。盆栽や掛け軸と組み合わせて展示することもある。そう、盆栽とつながりは強い。

水石はおもしろい。石の芸術表現というのは世界中にいろいろあると思うけど「水石」の一番のポイントは先に書いたとおり「加工はしない」ということだろう。そこにもしろさを感じるか、感じないかが好みが別れるところだ。僕はすごくおもしろいと思った。加工はできない訳だから、後は自分なりの解釈や見立てで価値を感じることになる。では、すべて主観的な世界かといえば、そうでもない。水石には「名石」と呼ばれる石が存在する。そのルールを学びなら、自分なりの好みを考えていく。

所属させてもらっている会の定期的な展示会。出品はまだ早いなと思っていたら会長から「出品も勉強だから」と展示させてもらうことになった。出品した石は北海道の神居古潭石。独特のツヤとダークな色合い。そして、ミニマムなフォルム。ツヤがほどよく落ち着いているのがいい。あと、やはり形である。水石の美意識とは、単に美しいとか、現実の自然の風景によく似ているという基準ではない。石を見た時「自然のイメージ」をどこまでふくらませてくれるか、というのが価値になる。僕はこの石の中に、静かで威厳のある世界がみえる。想像する。それは、すごく前の時代かもしれないし、同時にすごく未来かもしれない。人はいるかもしれないし、いないかもしれない。そんなことを考えていると僕は石をずっと見ていられる。

僕は「石」については、ずっと興味は持っていた。石(鉱石)をつかったアート表現は好きだったし、海や山に行った時、石を拾って部屋に飾ったりしていた。科学用の石見本を買ったこともある。心の中にすこしづつ石に対する興味が重なっていったと思う。その重なりが多くなっていった時に盆栽の会との出会いがあり、そこから水石の収集家の方との出会いがあった。ひとりで石について考えていた「ひとりの時間」。その出会うまでの準備が、僕に「水石」とつなげてくれたと思う。その自分の準備時間がなければ、せっかくの出会いも、人生の中でなにもなく流れていったことだと思う。

Text byアート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

緑寿会風景

緑寿会看板

緑寿会 春季盆栽展
会期:2017年6月10日(土)~6月11日(日)
会場:室蘭市民会館

 

 

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