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NEWS No.17024「ART BOX 東方悠平『ファッション/Fashion』」

2017.04.29

artbox

プレミアム・フライデー。今、消費を高めようという政策がある。僕はそれについて、政治的にどうこう言う気もないし知識もない。ただ、肌感覚として今の「消費」とは何だろう、と考えることがある。消費はマジック・キーではなくなってきている。僕はバブルの時代も経験している。その時代の空気感もわかるつもりだ。バブルは「消費」がみんなが幸せになるマジック・キーであり、カッコ良かった。お金をたくさん出して、ブランド力のあるもの買ったり、お金のかかった飲食の空間を楽しむ…こういうことが世間一般的に肯定されていた時代。なぜ、肯定できたか。楽観的になれる収入があり、単純にトレンドを消費することが快楽だったのだ。

繰り返そう。なぜ、そういう行動をするかといえば、つまり、お金を使うことが「幸せ」に直結していた。それは今でも有効なんだけど、そこに新しい価値観が加わったと思う。それは「お金を使わない幸せ」ということ。つまり現在は「お金を使う幸せ+お金を使わない幸せ」という相反する2つのファクターが、世間の一般の肌感覚になっている。だから「新たな要因=お金を使わない幸せ」によって消費は落ち込んでいくの。 なんて書きながら、消費や所有にこだわる自分もいる。なぜなら、どうがんばっても、この2つを完全否定して生きることはできない。

東方 悠平(Yuhei HIGASHIKATA)は1982年 札幌生まれ。 2006年 北海道教育大学札幌校 芸術文化課程美術コース 金属工芸研究室 卒業。 2008年 筑波大学大学院修士課程 芸術研究科 総合造形コース 修了。 2010年 第13回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展。 2011年 「神戸ビエンナーレ2011」(奨励賞)(しおさい公園/神戸) 2014年 「すすきの夜のトリエンナーレ2014―コインの裏」(札幌)。 2016年 プロジェクト「てんぐバックスカフェ」 (KIITOアーティストインレジデンス2016/神戸)。見慣れたイメージをモチーフに、それぞれの意味や文脈を、ユーモアを交えて組み変えるような作品づくりやアートプロジェクトをおこなっている。

東方 悠平の本作品には、一見、アヴァンギャルドだが「消費社会」の混沌が絶妙に表現されている。見ていると「そんなはずがない」が「そうだ」に感想が変化する。そう自分の生活を抽象化してみる。すると本作品のような混沌がリアルに感じてくるのだ。そう、僕達の生活は想像以上にビビットなのだ。実は灰色の人生じゃない。合成物質の派手さ。ただ、それを変えていきたいと思う。どうすれば?

まず、このカオスを受け入れて、そこから自分を修正していくのがいい。修正の方法として、今はいろんな選択肢が生まれてる。例えば「消費しないための消費=エコロジー」「所有しないで使う=シェアカルチャー」。それらをやりやすくするためのツール。それは、インターネット。まずは意識を切り替えることが一番大切だ。

「お金をつかうこと」より「お金を使わない」ことを考えたい。それじゃあ資本主義経済がシュリンク(縮小)しないかって? 違うと思う。この思想のいきつく先は「品質の良いものにお金をかける」「より良いサービスにはお金を払う」というところにたどり着く。エコロジーやシェアカルチャーを大きく支えるには、実はお金がかかる。でも、いいじゃん。そういうお金の使い方。僕達は消費からは逃れられない。だから「消費」の質を変えるのだ。

具体的にはどうすれば?そんなに難しく考えることはない。いきなり活動家になれ、という話じゃない。自分のライフスタイルを考えてみる。そして、それに見合わった消費をするのだ。そして、ブランド力じゃなくて、品質の良い、長持ちをするようなモノを買おう。そして、それは新品じゃなくてもいい。そしてモノに愛着を持とう。自分にとって本当にいい気持ちの良い体験のためにお金を使おう。有名な店舗やスポットがすべてじゃない。つまり、すべては「自分を考える」ことからはじめるのだ。思考にはお金がかからない。すぐできる。「ART BOX 東方悠平『ファッション/Fashion』」には、新しい価値観のための警告とヒントがある。そして、ポップなところが気に入っている。あかるい未来を考えよう。

Ps.新しい消費には「身近なアート作品を買ってみる」というのもすごくいい。気に入ったアート作品はいつまでも、あなたを気持ちよくさせてくれる。

ishikawa

Text by アート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

「ART BOX 東方悠平『ファッション/Fashion』」
期 間:2017年3月1日(水)~2017年5月31日(水)
会 場:ART BOX(JRタワー1階 東コンコース)

 

NEWS

NEWS No.17023「ジャパン・アヴァンギャルド ー アングラ演劇傑作ポスター展』

2017.04.26

ジャパン・アヴァンギャルド

 

「おっ、アングラな活動していますね?」

「アングラ」という用語を知っているだろうか?「アンダーグラウンド カルチャー」の略である。僕の感覚だと、この言葉使いは自分より上の世代の人が使う感じ。僕は世代的には「サブカルチャー」という言い方がしっくり来るかな。といっても、自分で「サブカルチャー」として、メディアづくりをしています…なんてことは言えない訳ですよ。まぁ、立ち位置を示すためにインディのメディアづくりをしています、ということかな。そして、今は「オルタナティブ カルチャー」という言い方が最新だろうか。いや、それも結構時間がたっている気がする。ここまで書いてカタカナ用語を多様する文章は読みにくいなぁと思った。

と書いてきて「いったいどういう意味なんですか?」と思う方いるはず。簡単にいえば、今出てきた3つの用語は「一般的ではない文化芸術分野」ということだと僕は思っている。さらに簡単にいえば「誰でも知っているとは限らない文化芸術分野」ということか。なんかぼんやりとした感じだが、細かく考慮するとこうとしか書きようがない。定義を曖昧にすることによって、定義が成立する。なぜ、曖昧なのか?

こうした文化・芸術分野の用語の定義を正確におこなうのは難しい。だから、これを数学的なロジックで捉えようとすると理解が逆に難しくなる。結局、これらは時代の空気感とリンクしている。定義を文字で理解しようと思わず例えば「アングラ」を理解したいと思ったら、そう呼ばれた作品をできるだけたくさん鑑賞してみるのがいい。たくさんの作品を観る、そして作品について書かれたものも読んでみる。この繰り返しが大事なのだ。

本展覧会はポスターハリス・カンパニーの 2 万点以上所蔵する「現代演劇ポスターコレクション」から「アングラ演劇」の傑作ポスターをセレクトして展示。同時に当時の資料や関連商品の販売をおこなっている。

「アングラ演劇(小劇場運動)」は、1960~1970 年代にかけて、日本の演劇界は新劇(ヨーロッパ流の近代的な演劇)をとはまるで異質な世界を創造することを目指して、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信、串田和美らが実験的な演劇を作りだしていった。その告知のポスターは、単なるおしらせの機能を超えてアングラ演劇のイメージを広く伝えるための強力な「メディア」となっていた。まだ、インターネットの無い時代。ポスターは貴重なメディアであったはずだ。

繰り返そう芸術の理解は、作品を観ることからはじまる。本展示を観ることは「アングラ」を理解するのに一番いいと思う。空気感を捉えることができるから。「アングラって、こういう感じね」と。その「感じ」が大事なのだ。そして、テキストを読む。そうすることによって、いろいろなアート用語の定義も肌でわかってくる。

ishikawa

Text by
アート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

アングラ演劇傑作ポスター展「ジャパン・アヴァンギャルド」
会期:2017年3月9日(木)~4月11日(火) 11:00~19:00(最終日17:00)
記念トーク&レセプション:3月9日(木)18:30~20:30
会場:グランビスタギャラリー サッポロ(北1西4 札幌グランドホテル1階)
入場無料

NEWS

NEWS No.17022「モルエラニの霧の中(第一部・特別試写版)』

2017.04.22

モルエラニ

ひとつの「地方」を全面的に舞台にした「映画」をつくる。
その作品の成功はどこにあるのだろうか?僕はそれは「その地方なんだけど、そこではないどこか」という印象を感じさせる架空の物語(フィクション)となった作品になることだと思う。

その詳細を文字で説明するのが難しい。実存する地方にフィクションが引っ張られ過ぎない、と言い換えることもできる。実存する地方は強力な存在だ。その土地を知れば知るほど、フィクションが動きにくくなるかもしれない。そのジレンマを調整してフィクションを構築していく。

そうした映画が、観光PRとしての効果もあるのは嬉しいこと。でも、それは映画に求められる1番じゃない。それなら観光地紹介ムービーになってしまう。雑な言い方になるけど、ただその地方の観光場所を映画に中にインサートしていっても、その地方の映画になる訳ではない。そこに映画特有のフィクションとリンクして作品としての映画になる。その結果として「行ってみたくなる場所。映画というフィクションによって、地方の一部が新しい意味を持つのだ。

繰り返せば特定された地方の舞台の映画であっても「いかに良質のフィクション」をつくるかが、重要だと思う。そして、ポイントとしては現実の地方とは、少し距離感があったほうがいい。そのほうが良いフィクションがつくることができる。なぜなら、その距離感の中に観る側は感情移入する隙を見つけるのだ。

監督の坪川拓史は室蘭在住。東京で劇団、映画づくりをおこなう2011年より家族とともに室蘭に移住。現在は登別の「日本工学院北海道専門学校」で講師を務めながら、映画づくりをおこなっている。 2017年4月15日(土)と23日(日)の2日間に坪川拓史監督作品上映会が開催された。「アリア」(2007年)「ハーメルン」(2013年) の過去の2作品に加えて、現在、まだ制作している室蘭を舞台にしたNPO法人 室蘭映画製作応援団制作の室蘭を舞台にした「モルエラニの霧の中(第一部・特別試写版)』が上映された。

「モルエラニの霧の中(第一部・特別試写版)』を観たので、その感想を書いてみたいと思う。

本作の基本的なプロットは「室蘭」を舞台として、情緒性を強く感じるストーリーが展開されている。静かなリズムの中で映画は進行していく。人物たちのセリフは少なく、同時に多義的。軸になる物語はシンプルなので、置いていかれることはない。ただ、ひとつひとつのシーンが非常に丁寧に撮られていて、いい意味で僕は少し息が詰まる感じがした。その間が惜しいのだ。

なんか、ひさびさに「映画」の表現をたくさん観たような気がした、というのが一番短めな感想。モノクロの映像がより映画というフィクションの深度を高めてくれる。室蘭を在住の人なら、おなじみの場所が次々と登場していくが、そこに不思議な距離感が生まれている。「知っているところだけど、ちがうような」。そんな印象が僕の心に生まれる。

室蘭は北海道でも不思議な場所だ。自然と、巨大工場群(と港、船)が同居していて、北海道生まれの僕でもどこか特殊な場所だと意識する。そして、歴史を感じさせる場所もたくさんある…これらの要素はフィクションをつくり上げるには絶好の場所なのかもしれない。

とりとめのない感想になってしまった。その理由はまだ感想を語るより、この映画をもう一度観たいと思っている。つまり好きな映画なのです。また観られる機会を楽しみにしたい。「映画」っていいなと思い出した機会だった。

ishikawa

Text by
アート・メディアライター  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

「坪川拓史監督作品上映会」

会 場:
社会医療法人 製鉄記念室蘭病院 がん診療センター 3階大講堂
(室蘭市知利別町1-45)
http://www.nshp-muroran.or.jp/s01/s01-04.html

■上映日時
●4月15日(土) 12:30開場
第1回 13:00~14:50 『アリア』
第2回 15:20~17:40 『ハーメルン』
第3回 18:10~20:30 『モルエラニの霧の中(第一部・特別試写版)』
●4月23日(日) 12:30開場
第4回 13:00~15:10 『ハーメルン』
第5回 15:40~18:00 『モルエラニの霧の中(第一部・特別試写版)』
■料 金
●前売券
1枚のみのご購入 1,200円
複数枚のご購入 1,000円/回 (任意の上映を選択可、一括購入の場合)
●当日券
上映1回のみ鑑賞 1,500円
上映2回以上鑑賞 1,200円/回 (任意の上映を選択可、一括購入の場合)

 

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