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REPORT

町内会を「なくす」という再生。

2020.02.23

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空気が建物の間を抜けていく。
「まち」は現実に在る。
肉体が存在する限り、まちの存在に抜けきれない。

先日、登別市の環境講演会にて、メインの室工大生の佐野 湧樹さんの
前にお話をさせていただく機会をいただいた。

僕は環境問題とは、コミニュケーションの問題でもあるとも考えている。
そんな話をした。

講演が終わってあと、初老の方から、町内会を活性化する方法について質問された。
正直うまい回答ができなかった。多分、今もできない。
ただ、書いてみようと思う。

1. くりかえされる話。   

「町内会の行事に参加してくれる人が減っている、役員のなり手がいなくて困っている」。まちづくりに関わって、企画や会議。雑談の中で必ず聞く話題である。これについて。僕の考えを書いてみようと思う。期待をさせてはいけないから、最初に書いとく。特効薬はないと思う。あればとっくに使われていると思う。

ではどうするか。まずは、いきなり消極的でもう申し訳ないが「もういろいろやめてみる」という方法もあると思う。つまり、町内会のインフラに絶対に必要な機能(災害・ゴミ・福祉的なことなど)以外にやめる。つまり、お祭りなどのレジャー的な行事はやめてしまうこと。それもアリではないだろうか。

今までのお祭りを続けることは伝統を守る、という意見もあるかもしれない。でも、町内会における伝統というのはそのコミニュティ全体に多くの支持を受けないといけない訳で、世代交代もなく、ごく少数の昔からの役員だけで維持している伝統というのは、もう正しい在り方ではないのではないか。そう思うのだ。

町内会活動というのは、全員参加は無理でもある程度の参加してくれる人の規模感というのは一番大事なことで、行事というのは町内会のコミニュティ全体のコミニュケーションのために存在するのであって、それはもう無いのに継続するのは、本来の意味から外れているのではないか。

お祭りをするために町内会がある訳ではない。町内会全体の楽しみとして町民相互のコミニュケーションのため(コミニュティの維持)するためにお祭りが存在するのだ。だから町内会の大部分が不参加の行事を一部の人の頑張りで継続するのは僕は意義は少ないと思う。

すいません!その継続の意思は素晴らしいし尊敬はする。また少数で継続する事自体が無理なく、不満なく行われているなら続けるのもアリかと思う。ただ、それはもう町内会活動とが違う感じだ。個人の表現活動ではないか。

2.  ハードワーク、ハードプレイス 

繰り返そう。町内会のコミニュティ全体の交流にもつながらず、やっている少数の人も負担で後継者もいない、やめることも不可能ではない、ということなら、お祭りなどを「やめてしまう」のも僕はいいと思う。

続けるのは大事なんだけど、ごくごく少数の役員さんだけで必死に準備をして、おこなう、というのは大変である。例えば、夜店の食べ物を、自分たちでつくり、ゲームも用意する。屋台のためのテントを組み立て、照明などで飾る。準備、当日も大変だし撤収も大変だ。

年配の役員さんとお話する。昔はたくさんの人手があって。お祭りの「制作」にたくさんの人が参加してくれた。お祭りの日は、仕事を休みにしてくれる会社もあったという。女性も専業主婦の人が多く協力を受けやすかった。

町内会のお祭りは、人手が多く・かつ時間ををそのために全面的に提供してくれていることを大前提としている。人手もない、時間も提供されない環境の変化の中で、昔の方法論で現在も続けていると無理がきている。

町内会の問題を人にたとえるなら。町内会には「特効薬」はない。あるもは普段の食生活を変えていって「健康」を目指すことだ。だから、健康にわるい「お祭り」などの行事をやめてしまう、というのも僕はアリだと思う。

そういった話をさりげなくしてみると「屋台を楽しみにしてくれる人がいるから、やめられない」という意見があった。それは事実だろう。でも、その多くの人は、お祭りの存続自体には興味を持っていないと思う。お祭りの場をスーパーで買い物するのと同じ感覚なのではないか。

もちろん、町内会のお祭りを楽しみにしてくれることはありがたい。しかし、お祭りには「受け手」だけたくさんいてもしょうがない。受け手と送り手がまざって、双方向性があり交流を深めるのが祭りの機能ではないか。町内会活動ではなうか。ただ「屋台でモノを売る・買う」コト自体だけで完結しているなら、僕はあまりやっている意味はないと思うのだ。

3.  第3の選択。

繰り返しだが、町内会のお祭りとはビジネスではなくて、コミニュティの成長のためにあると僕は思っている。そこが機能不全になっていて、かつやっている人間が負担ならばやめるべきだろう。

ここまで書いて「やめろ」「やめろ」と書く自分にウンザリしてくる。矛盾するけど本当だ。僕は町内会の行事は基本的にはやるべきだと思っている。ただ、ごく少数の人のがんばりだけでかろうじて成立しているなら、それは一度やめてもいいと思うのだ。

永久にやめろという話ではない。現に、年一度のお祭りやめたが、復活させたという町内会の事例も聞く。「毎年続けていることの意味がある」ということは町内会ではあまり意味はないと僕は考える。

町内会行事で一番大事なのは、その制作に多くの住民がかかわっているという点が一番大事でなのだ。そこで交流が生まれ、まちが作られる。それがなければ、なんのためのお祭りだろう??

町内会の復活させるのは大変だ。すこし声をかければ人がくる、という時代ではない。このことまずしっかり認識しないといけない。加えて町内会の行事は無理に続けるものではない、という2点を認識する。そのうえで「やめてしまう」ということも前向きに考えてみる。

4.町内会のリニューアル、クリアランス。

また「継続する」と進めたいなら、昔の良い記憶はすべて消去する。そして、人手は簡単にはあつまらないことをしっかり認識する。その上でどうすればいい考える。

話し合いの中で否定はやめませんか?新しい考えを賛成していく形で、新しい町内会を考えてみる。考えるだけなら、どんな案だっていい。ロスがある訳ではない。

まず、情報共有をしっかりする。回覧板という方法は僕はいいと思う。まず、回覧板は必ず町内会全員にまわすようにする。そのうえで頻度と内容をしっかり考える。どうすれば町内会

ちいさなあつまりを定期的に企画してみてはどうだろうか?自由に使える町民会館のようなところがあれば一番いい。こどもつれてこれるような場所にする。誰でもきて話ができるような場所にする。「町内会と防災」といった今ふうのテーマもいいかもしれない。

特別なセッティングはいらない。お茶ぐらいの用意があれば十分だ。見学に来るだけでもいい、無理にお話をする必要もない。お茶だけ飲んでてもいい。そんな場所を作ったらどうだろうか?

なにかを自発的にする、という動機はすべてコミニュケーションの「深さ」からははじまると。
コミニュケーションの深さというのは突然できる訳はない。日々の積み重ねる

町内会の活動の負担は無理に平等にする必要はない。なぜなら、人の生活スタイルが違うからだ。
みんなちがうのだ。そこに無理に平等に理屈うぃおねじ込んではいけない。もちろん、積極的にたくさんやりたい人にはやらせてあげる。

少ししかできない人には、
その少しだけで協力することが後ろめたくない仕組みをしっかり用意すべきだである。
こういったことが実はすごく大事。

インターネットも活用も考える。今、ネット時代の過渡期であって、使う世代おt使わない世代で情報について断絶ができている。この点が一番大変な部分である。ネット世代は、スマホを駆使して
自分たちのコミニュティをつくる。その点をスマホを使わない世代の空白を埋める必要はある。

回覧板はあっていいと思う。加えて、ネットでの情報発信も考えて、それができる人を町内会の役員にすることも考えないといけない。また、高齢な方もスマホを使うことを検討してほしい。スマホを少し前までは、月々のコストが最大の問題であったが最近は月4千円程度のものが出てきてる。買物・支払・旅行の予約・映画や音楽を楽しむ…スマホこそ高齢者の方の利点が多いと思う。

町内会の若者が、高齢の方にスマホの使い方を教える、というちいさな会合があってもいいと思う。それって素敵だと思う。

自分がリタイアした時のために、いい町内会を
用意しておきませんか?
2020年登別市市制施行50周年記念 令和元年度第2回環境講演会
「個人が主役になる!これからの環境への取り組み~
クラウドファンディングを生かした環境美化活動~」
講演者 佐野 湧樹 石川伸一
2020年2月20日(木)18:00 -
クリンクルセンター1階市民ギャラリー

Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
メディアづくり まちづくり ひとづくり  をテーマに活動中。

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REPORT

「モリヒコ」がなかったら…

2020.02.11

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MORIHICO.CEOでありアートディレクター市川草介氏は珈琲を愛する。そして常に「準備」ができてる人だ。それは「居心地のいい空間のアイディア」のこと。だから素早く動ける。「森彦」が「MORIHICO.」となり、カフェの展開、レストラン、ホテル、他空間のディレクションなど休むことのないスピード感は、そのシンプルに深い心情に集約できる。効率の人ではなく魅力的な非合理も愛せる人でもある。だから空間が光る。共有したいひとである。だから人が集まる。本の内容は、プロフィール、1号店誕生から現在までの成り立ち、写真を使ってのカフェの美意識のコトバ、そして世界的な視点でのカフェビジネスについて読みやすく書かれている。カフェについての読み物としてもおもしろいし、分野を超えて愛される「なにか」をつくりたい、という人にもおすすめしたい。

市川草介著『カフェがなくなったら・・・』
【発売元】現代書林
【仕様】四六判ソフトカバー200ページ(内96ページはカラー)

以下のMORIHICO.のオンラライン・ショップなどで購入できます。
https://morihiko-ec.shop-pro.jp/?pid=145653556

 


Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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REPORT

社会は変わ(え)るか?アートコミニュケーター

2020.02.09

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社会は変わ(え)るか?アートコミニュケーター

今の時代。テレビ、そしてネットの普及で、
情報の不平等は解消されつつあるように思える。

でも文化やアートの情報は、それが生かされることなく
通りすぎるのことも多いのではないだろうか。

そうなると、
情報は最初から存在しないと同じ。
なぜ、そうなるのかというと情報があっても、
「情報」と「自分」との関わり合いを見出せないからかもしれない。

それを解決するひとつの方法、
これからは人が「媒体」となること。
アートコミニュケーターを紹介しよう。

今回紹介する「アートコミニュケーター」(以下AC)とは、美術館等の文化施設で活動する公募のボランティア。単なる施設の展示の説明や広報のお手伝いだけではなく、利用者と深く交流し、いっしょに考えていく。

さらには自主企画もおこない、施設の中だけではなく視線を外にまでむけて社会とつながり、アートを介して人と作品、人と人をつなげていく社会の「プレイヤー」(能動的に活動する人)として活躍することが期待されるのがACなのだ。

2018年に開館した札幌市の文化拠点施設「札幌市民交流プラザ」。その中にあるSCARTS(札幌文化芸術交流センター)では開設当初から「SCARTSアートコミニュケーター」としてAC事業に着手。

第1期ACはもう既に展示のサポート、展示会の感想などの情報発信、自分たちのアイディアによる自主企画など、活動を通して人とつながるプレイヤーとして活躍中。

全国的にはAC事業に取り組んでいる文化施設はまだ少ない。国内では東京のほかまだ数カ所だという。長い人生、多様な生き方急速に進んでいく社会の中で、アート役割、人とのつながりから必要とされる事業だと思う。

現在、第2期のACを現在募集中。任期は1年更新で3年間の任期。定員は20名。書類選考と面接によって決定される。アートに興味があれば年齢や学歴、経験は不問。選ばれると15回の講座を受講してもらいながら活動を開始することになる。

説明会に
行ってきた

日曜午後に開催された募集説明会。会場はSCARTS近くのイベントスペース。開始少し前行ってみると受付のスタッフが暖かく迎えてくれた。会場内は定員80名ほどの広さ。僕が入って時点で7割程度は埋まったいた。客層を見てみると年代は広く、性別は女性が多い印象、

説明会は3部構成。まず事業の母体であるSCARTSのスタッフによるACについての基本的な説明。そして、次にトークセッション1として1期生の普段はサラリーマンという朝日泰輔さんと、福祉施設で働きながら子育て中の山際愛さんが登場して活動の内容と感想を楽しく話してくれた。

難しいアートの話はなく、
自分たち目線のアートとの関わり方の話が楽しい。

セッション2では東京でAC事業をおこなっている東京藝術大学特任准教授伊藤矢氏と、樋泉綾子さん(SCARTSキュレーター)との間でさらに深い話がされる。興味深く耳を傾ける。

その中で一番印象に残っているのが「文化縁」という言葉。これは「地縁」「血縁」というつながりコミニュティが失われていく中で、アートコミニュケーターが文化という「縁」で人をつなげていって、社会に良質のコミニュティを作っていく。

つまり、アートコミニュケーターとは、単にアート施設のお手伝いという訳ではなく、アート専門家ではない、ごく普通の市民視線をもってアートを広めていって、同時に社会も作っていく存在なのだ。

会場に居た人になぜ、
アートコミニュケーターに興味を持ったか聞いてみた。

50代の女性は「私は今勤め人だが、もうすぐ定年となる。
すると職場というつながりはなくなってしまう。
そのため、職場という関係以外のつながりが欲しかった」
と話してくれた。

70代の男性は「自分はもう仕事はリタイアして、
現在の美術館のボランティアをしている。
そこからされに活動の幅を広めてみたくて説明会に来た」と語ってくれた。

偶然だと思うが、この2人の理由は、
大部分の方の訳ではないだろうか。
僕の説明会の感想は以下の2行に集約できる。

アートコミニュケーターは、アートを愛し
社会をつくる人である。
そして、やさしい人たちである。

「SCARTSアートコミニュケーター2期生募集」の応募締め切りは
2020年2月24日まで、興味のある方は以下の「SCARTSアートコミニュケーター2期生募集」をよく読んで応募して欲しい。書類選考と面接によって決められる。

https://www.sapporo-community-plaza.jp/artcommunicator.php?fbclid=IwAR2EHWoRDuG97hlyaW1_5BtcV2EceJim-ELlFZeqA_Vfyqu8FWi0sHly6Ks
「SCARTSアートコミニュケーター2期生募集」
2020年2月8日(土) 14:00~16:30
道新プラザDO-BOX(札幌市中央区大通西3丁目)


Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
メディアづくり まちづくり ひとづくり  をテーマに活動中。

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