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REPORT「市民活動サークル ttemiyo‎テミヨー2周年記念! 今どきの情報発信とコミュニティのエキスパートに聞く「情報発信講座」」 

2019.06.05

DSCN1192のコピー

「デザイン」って、なにかといえばコミニュケーション。
つまり、人前で話すのと同じこと。
それを、身だしなみや態度や口調ではなく、
図案や文字を使って伝えてみる、ということなんだ。

伊達市の市民活動センターでデザインの講座があるので、
登別から夕方、JRで行ってみたよ。車はやめてみた。

降りる駅は伊達紋別駅なんだけど、学生さんがみんな降りるので、
つられて北舟岡駅で降りてしまった。

噂には聞いていたけど海が目の前にひろがる無人駅。素敵だったなぁ。
そこから、西日を浴びながら30分くらい住宅街を歩いたよ。閑静な場所で、
ニュータウンのような感じ。自然食品系のちいさなお店がいくつかあったのが印象に残ってる。

トラブルだったけど、
まちを歩くと、まちがわかる。
楽しい経験だった。

 

講師の目線が近い。
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北海道伊達市にて魅力的な市民講座が開催されたよ。テーマはデザイン。市民活動や、専門家ではないが仕事でチラシづくりや宣伝をする必要のある方にむけた内容。講師が市民活動支援員自身というのもユニーク。講師にプロのデザイナーもいいけど、より視線の近い支援員さん自身がおこなうのもとっても良い。なぜなら、参加者の環境や力の入れ方について、一番理解している立場だと思うからね。限られた環境の中でつくる、というセンスも大事だし、素人なりのデザインというのもありだと思うんだ。

テミヨー

ttemiyo
つなぐサークル
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本講座の主催はttemiyo(テミヨー)。月に1回程度は「~しテミヨー」(してみようー)を合言葉に、気軽に楽しく参加できる文化・芸術的な講座からヨガなど体を動かすワークショップ、アウトドアな企画もおこなっている。2年前から活動を開始した伊達市の市民活動サークルなんだ。

代表は四戸幸穂(しのへさちほ)さん。こうしたサークルでジャンルを限定せず活動しているのは珍しいのではないかな。企画の魅力に加えて、地域の「人と人」をつなぐハブ(連結器)として役割にも注目したい。

ホント、人って簡単なことでつながるのだけど、
その簡単なことが難しい。
軽やかにトライしているテミヨーに注目しよう。参加してみよう。

ttemiyo(テミヨー)の最新情報はこちらから
https://www.facebook.com/ttemiyo/

アドルスロゴ
AADDLLSS
地域におけるデザインの味方
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本講座のゲストとして、伊達市の「地域のためのデザイン」をテーマにするデザインサークル「AADDLLSS (アドルス)」も講義をサポートしていたよ。

本サークルは、伊達市でのさまざまなまちづくりや市民活動等に関するデザイン、アートディレクションをおこなっている地域の力強い味方なんだ。

例えば、ごく普通の市民活動をしている人がチラシとかロゴをいきなりデザイン会社なり、フリーランスのデザイナーに発注することって敷居が高いと思うんだよね。デザイン会社自体も素人さんからの相談には不慣れなところもある。

その点、AADDLLSS が「有償ボランティア」という立場を明確にしているのはユニークだし、とってもいいと思う。ただの無料奉仕だと、続けるのが難しい、相談するほうも有償のほうがスッキリすると思うんだ。お互い気持ちよくなる。

僕はこういったスタンスのグループがまちにひとつあったらとってもいいと思う。まちづくりのプラスになると思う。デザインって、コミニュケーションだしね。

「AADDLLSS (アドルス)」についての最新情報はこちら
https://aaddllss.work/

stage
▲AADDLLSS (アドルス)」の方々と、一番右のおまけ石川。
僕もデザインについて、少しお話させていただきました。

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講師の寺島寛さん
進行の四戸幸穂さん
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講義は市民活動支援員の寺島寛さんがプロジェクターのスライドを説明しながらサクサク進む。テミヨーの代表四戸さんが参加者をもりあげつつ進行していったよ。

具体的には、市民活動のチラシのデザイン案からはじまって、進んでいった。最初に説明があったけど、本講座ではデザインするための、パソコンのアプリケーションのソフトの使い方などは教えないんだ。

その理由は、良いデザインの理屈がわからないまま、アプリの使い方だけおぼえてもいいデザインは作れないから。結局、まわり道になってしまう。

デザインというのは自分のためにするものではない。人に伝える技術なんだ。いくらデザインのソフトが使いこなせても、できあがったデザインが人に伝わらなかったら意味がない。

今のデザインのソフトはどんどん高性能になっているけど、伝わりやすいデザインが作りやすいかは別問題なんだ。

高度な機能を使ってもデザインが良いとは限らない。もっと未来になったら、AIで良いデザイン、悪いデザインが判断して、作成できるアプリケーションができるかもね。

本講座のポイントとして感じたのは2点。デザインのソフトの操作を学ぶ前に、デザインの注意点を学ぶこと。もうひとつは、インターネットでいろいろな見本となるべきデザインを見て勉強すること。とりあえず解像度の低い写真を使うと寺島さんに激怒されるんだ。

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質問の答えにローラ登場
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講義の中でいろいろ参加者の方から質問が出たよ。その様子を紹介するよ。

室蘭でベーカリーをやられている方より「値段や説明のメニューの表示のデザインについて、アドバイスを欲しい」という質問がありました。

これに対してアドルスの方が「安さを売りにするなら、値段は大きくすべき。ただベーカリーをなさっていることは、値段より質でこだわりを持っていると思いますから、メニューの説明を中心にしたほうがいい。値段は小さくでいいと思います」という回答だったよ。

もうひとつ「講演会のチラシづくりに悩んでいる」という質問には「講演をする人が、かなり有名人、例えばローラだったら、名前を大きくだせば、それだけで効果が高い」と寺島さんが答えたよ。

デザインというのは図案だけではなくて、限られたチラシの中で言葉もどう選択して、表現していくか、というのも大切なデザインの考え方なんだ。適切ば回答でした。なぜローラなんだろうと思ったよ。寺島さんファンなのかしら。伊達にローラくると楽しいね。

ソーシャルキャピタル
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講義の最初に市民活動の話があって、講師の寺島さんは市民活動とは、人が集まり、それは誰もが参加可能性のあるサークルなら、集まってお酒を楽しむのも市民活動だと考えると、話をしてくれたよ。

それに僕は賛成だ。僕自身はお酒が飲めないので、お酒を楽しむサークルには入れないけど、市民活動では実は一番大切なのは地域の人が顔見知りになる、ということだと思うんだ。市民活動って、なんか公益的とか、スポーツ、芸術・文化的なことに限定する意味はないと思う。ただ、常識的な集まりであればいい。

もちろん、好きなことを突き詰めたサークルもあってもいいし、とっても気軽なあつまりでも、どちらがあってもいいよね。自分の好きなサークルを選ぶ選択肢はいっぱいあったほうが楽しい。

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伊達市のシビックプライド
line写真は会場の「伊達市民活動センター」。市役所に隣接した新しくきれいな建物だね。デザインは武家から着想を得た形ではないかなと思ったよ。こういったデザインは本州では結構あると思うけど、北海道ではとっても珍しいね。

なぜかといえば、道内大部分の場所は明治以降に江戸時代から新しい日本政府が主導した屯田兵や民間の開拓者が切り開いている。だから、武家というルーツを表に出す地域って少ないと思うんだ。(開拓者に元武士は多かったとは思うのだけど)。

ところが、伊達市は仙台藩一門亘理(伊達政宗の親類)領主伊達邦成とその家臣達の集団移住で開拓したという独自の歴史がある。

殿様と家臣が一緒に開拓したまちという想いが、今もまち全体が武家のモチーフによって建物がデザインされている。これは伊達市にはじめて来たときからずっと印象に残っている。公的な建物から民間の建物もそうなんだ。

これがシビックプライド(都市に対する誇りや愛着)にもなっていて、それが寺島さんらユニークな市民活動支援員、テミヨーやアドルスのようなサークルを生み出す原動力なのかなと感じた。
一番大事なのは気持ちだよね。

今回のデザインの講座は、写真、SNSに続く全3回の講座。市民にむけて、こうしたクリエイティヴのとっかかりになる講座はとってもいいと思った。写真やデザインなどのクリエイティヴって、その時代の技術発展やトレンドもあるから、そういった情報も入れて、またおこなって欲しいと思ったよ。

帰りは車の予定だったのだけど、JRにしてみた。
特急で東室蘭駅まで760円(普通列車だと450円)
旅行基気分で楽しかった。
JRと歩きでは、伊達というまちが身近に感じたよ。

テミヨー2周年記念!
今どきの情報発信とコミュニティのエキスパートに聞く「情報発信講座」
(3週連続・全3回)
第3回目「チラシやポスター、デザインの基本のそのまた手前」
日 時:2019年5月29日(水)19:00~20:00
会 場:北海道伊達市市民活動センター(鹿島町20番地1)

 

Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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NEWS「”OPEN PORT CLUB Mix Series 4月 – Sleep D “」 

2019.05.19
nop

音楽という時間の芸術。
音楽は言語。
変化しながら、デジタル信号になり
世界中をかけめぐり、作品となって僕たちへと戻ってくる。
ミックスという形で。

OPEN PORT CLUBとは、2016 年 音楽を通じた札幌とベルリンの都市交流プロジェクトとして発足。イベントの開催や出演コーディネートなどのアーティストの交流事業やBerlin Community Radio にて番組を放送。

2018年札幌においてレジデンス事業(アーティストを招待・現地制作してもらうこと)もおこなっている。そして2019 年。新たなプロジェクトを開始。それは世界 6 大陸の アーティストを紹介するシリーズ。選定は札幌でパーティ”FLOPPY” を主宰、現在はベルリンを拠点でDJや音楽リリースをおこなう DJ/プロデューサーYuzo Iwataと” FLOPPY” 主宰のmomo。

第2弾はオーストラリア大陸より、メルボルンのエレクトロニック・デュオ Sleep Dによるミックス。彼らはレーベル “Butter Sessions”の運営もおこなっている。彼らのミックスは、クラブのちいさな「箱庭芸術」だと感じた。一晩のパーティの流れがパッケージされて、僕たちは自宅で、またはお気に入りのポータブルデバイスで楽しむことができる。目つぶれば、またはフラットな風景があれば、僕たちは彼らの音のホログラムに没頭できるのだ。

OPEN PORT CLUBのウェブサイトでは彼らのインタビューと今回のミックスへのリンク(Soundcloud)があります。

OPEN PORT CLUB
http://openportclub.com

 

ishikawa

Text by メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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NEWS 報告「残すか、残さないか、ではなく生きた記録を残そう』

2019.05.02

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残すことは
残さないことを否定する
残さないことは
残すことを否定する

残すことは
良いことか?
残さないことは悪いことか?
だれが判断するのか

ちなみに
僕は判断できない
判断できる人もいると思う

おっと訂正
実は、僕が一番興味があるのは
現物よりも心に残すということだ

文化的な価値に着目して、古いものを現実に残すか、残さないか、というのが議論になる場合がある。そこで僕が考えるのは、有志のおこづかい程度で維持できるものなら、それはもう有志でね、今はSNSでもネット決済でもクラウドファンディングもある訳ですから、そいった便利なツールを使いながら、勝手に責任を持ってやればいいと思うのですよ。それはもう、これで終わるお話。

問題は、有志のおこずかいで足りない場合、そこからは2つ手段があって、民間のスポンーサーをみつけて、を営業して、言うことを聞いて手配すること。もうひとつは公的な予算を投入するように国や市に働きかけること。前者は、それもできればそれでいい。最初の有志のこづかいプランの延長線上にあると思う。問題は後者の場合で、国や地方公共団体で維持してください、という場合である。多くの、というかほとんどの地方公共団体は多くの予算がある訳ではない。そんな中で「残してくれ」というのはどこまでできるか?または必要なのか?

ここで、僕に意見があるかといえば、実はよくわからない。こういった場合、僕の中の方法論では、現物を残すとか、残さないというよりも、その「記憶」を残したいという方向に働くと思う。重ねて書くけど、それが有志とこずかいを出し合って維持できるものなら、自分でお金をだしたいと思う、しかし、そうでなければあとはどう「記憶」(メディア)として残すかということである。

僕はね、現物があるか、無いかというのは今後のデジタルの世界でそんなに重要ではないと思っている。重要なのは「記録」を存在させるということでる。しかも、生きている記録を。ほこりをかぶった記憶じゃない。いつでも目の前に現れる記録である。

異論はたくさんあると思う。実体のあるフィジカルな感覚は僕もとても理解できる。だから、フィジカルなところでは「破片」でも残っていればいいかなと思う。

壊されるから、もう終わり
では悲しい
生きた記録を残そう

 

ishikawa
Text by  石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
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