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NEWS No.181123 「日本工学院 北海道専門学校 学生作品展 晴夏展」

2018.11.24

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卒業制作展とは
卒業すれば
もう展示なんか
できないから やるのだ

クリエイティヴ系の学校は、ほとんどは卒業制作の展示会がおこなわれる
一般の人も見ることができる場合が多い。僕のように文系大学では卒論を描いても「卒論展示会」がおこなわれる訳ではないので、とっても羨ましいことだと思う

なぜ、美術・クリエイティヴ系の学校は、展示会があるのだろうか?
僕が思うに、それはクリエイティヴから、離れるためにひとつの儀式だと思う

えっ、なんだって?展示会って、かなりクリエイティヴなことだろう?
と疑問もあると思う。自分の好きなテーマで作品をつくるんだから
自分はクリエイターなんだから

でも、卒業した多くの生徒たちは展示会をやるために学校で学んだ訳じゃない
就職すれば、逆に展示会なんてできない

できないから卒業の時にやるのだ
それは学業の成果というより、気持ちの切り替えだと思う
社会人になるための儀式 さよならクリエイター

本展示の時、在廊していた何人かの生徒さんとお話をした
卒業制作も何人かのプロジェクトでおこなう場合、いろいろ
苦労話もあったということだ。そこがもう社会人への儀式

でも、僕は就職して会社員になっても
フリーランスになっても
展示会をやって欲しい
それはクリエイティヴな人間だけの特権だからだ。
その時、卒業制作の経験がきっと役に立つ

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「日本工学院 北海道専門学校 学生作品展 晴夏展」
会期 : 2018年8月6日(月)〜2018年8月10日(金)
会場:登別中央ショッピングセンターアーニス(登別市中央町4丁目11)

ishikawa
Text by
メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜アートとメディアについて考えて、書くのが好きです。

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NEWS No.181115文月悠光 原稿用詩(Poetry Manuscript) 」

2018.11.15

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言葉に「あやつる」ものではなくて、
「あやつられる」ものなのだ。
言葉に負けつづき。そこに詩人あらわる。

これは「言葉」の誰がコントローラーを持ってるのか、
という問題で
自分が両手にしっかり持っていたと思ったら
実はその上から「言葉」というガッチリ大きな手
で押さえられている。

だから、僕はその大きな手のいいなり
右にいきたくても、左に行ってしまう。
それはそれでいいのだけど。

「そんな大きな手なんてない!」
というなら、多分細いテグスの糸だろう。
はるか上からあやつられている 上がブルーの雲

ただ、みんなそうだから 深刻に考えることはない
言葉にあやつられている

そんな世界で、詩人とは するりと抜けて
かろやかに遊ぶ人。

文月悠光もその一人

本作の文月悠光の
余白多く、詩のある原稿用紙タイツ!
言葉が肉体をあたえられる。
これは言葉も困るだろう。
それにニヤリとできる。

あやつられる言葉ばかりではつまらない。
これはとてもポップであやつる方法
言葉から離れた、楽しい気持ち。

文月悠光(1991生)は札幌出身、東京在住の詩人。詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。 エッセイ集に『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』 (立東舎)がある。また、NHK 全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座なども開いている。

「500m美術館Vol.26『最初にロゴス(言葉)ありき』」より
会期:会期 : 2018年4月27日(金)〜2018年6月27日(水)
会場:500m美術館(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)

ishikawa
Text by
メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜アートとメディアについて考えて、書くのが好きです。

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NEWS No.181031「高橋喜代史 POSTER」

2018.10.31

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助けてもらうための「助け」が欲しい。
それはアナログな手法の中にもあると思う。

冗談ではなく、こういうことって多いと思う。
「助ける」ことも「助けられる」ことも、簡単で難しい。
そのパラドックスとメディア(媒体)のコトについて
僕は時々考える。

例えば日常を思い出す僕のよく使うアプリケーションソフトには、
「ヘルプ」とおうメニューがある。これがどうにもわかりにくい。
つかってもよくわからない。

なんでだろう

その「ヘルプ」も適当な感じではない。でも、わかりにくい。
自分が悪いのかなとも思う。文句というよりバツの悪い感じだ。

デジタルな世界にも灰色がある。助けられないこともある。
だって、人間が作ったものなのだから。

展示の高橋喜代史 のPOSTERは、日本語、英語、アラビア語で「助けて」と書いたポスターを街中に張る映像の記憶である。

世の中には当事者しか文句がいえない、という仕組みが多い。
でもね、いろいろな今の時代の社会的な出来事で、純粋に自分にまったく関係ないコトって、どれだけあるのだろうか?みんな当事者ではないか。

僕たちは当事者ではない(と窓口でいわれる)問題についても「考えたり」「意見を言う」ことが必要だと思う。いや、それはあるのかもしれない。僕たちは世界につながるインターネットをスマホという機械を手元に持ちながら、SNSの小さな世界に住みつつある。そこで意見を言い合う。でもね、それだけでは十分ではない。テクノロジーの進歩とメディアの幸福度はつながらない。

ややこしい、なぜか伝わりににくいモヤのかかった世の中。
リアル街中で高橋喜代史の「ポスターを張る」というアナログな方法は、
力強く明確。簡単に無視できない(流せない)インパクトがある。
ひとつの小さく大きなメディアの方法だと思う。
アートによって、大きな飛躍が生まれる。

デジタルでもアナログのどっちでもいい。
「伝える」方法をいろいろ選択して、表現していくのも
今のアートの役割だと思うのだ。

高橋喜代史の作品は、わかりやすく、力強いのがすごくいい。
僕の心には憧れに似た感情と、たしかな記憶が残る。

僕たちは、もっと助けられていい。
いろいろな形で。
助けないと、助けられないということは、
自分の鏡に刻んでおいておく必要がある。

「500m美術館Vol.26『最初にロゴス(言葉)ありき』」より
会期:会期 : 2018年4月27日(金)〜2018年6月27日(水)
会場:500m美術館(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)

ishikawa
Text by
メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜アートとメディアについて考えて、書くのが好きです。

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