助けてもらうための「助け」が欲しい。
それはアナログな手法の中にもあると思う。
冗談ではなく、こういうことって多いと思う。
「助ける」ことも「助けられる」ことも、簡単で難しい。
そのパラドックスとメディア(媒体)のコトについて
僕は時々考える。
例えば日常を思い出す僕のよく使うアプリケーションソフトには、
「ヘルプ」とおうメニューがある。これがどうにもわかりにくい。
つかってもよくわからない。
なんでだろう
その「ヘルプ」も適当な感じではない。でも、わかりにくい。
自分が悪いのかなとも思う。文句というよりバツの悪い感じだ。
デジタルな世界にも灰色がある。助けられないこともある。
だって、人間が作ったものなのだから。
展示の高橋喜代史 のPOSTERは、日本語、英語、アラビア語で「助けて」と書いたポスターを街中に張る映像の記憶である。
世の中には当事者しか文句がいえない、という仕組みが多い。
でもね、いろいろな今の時代の社会的な出来事で、純粋に自分にまったく関係ないコトって、どれだけあるのだろうか?みんな当事者ではないか。
僕たちは当事者ではない(と窓口でいわれる)問題についても「考えたり」「意見を言う」ことが必要だと思う。いや、それはあるのかもしれない。僕たちは世界につながるインターネットをスマホという機械を手元に持ちながら、SNSの小さな世界に住みつつある。そこで意見を言い合う。でもね、それだけでは十分ではない。テクノロジーの進歩とメディアの幸福度はつながらない。
ややこしい、なぜか伝わりににくいモヤのかかった世の中。
リアル街中で高橋喜代史の「ポスターを張る」というアナログな方法は、
力強く明確。簡単に無視できない(流せない)インパクトがある。
ひとつの小さく大きなメディアの方法だと思う。
アートによって、大きな飛躍が生まれる。
デジタルでもアナログのどっちでもいい。
「伝える」方法をいろいろ選択して、表現していくのも
今のアートの役割だと思うのだ。
高橋喜代史の作品は、わかりやすく、力強いのがすごくいい。
僕の心には憧れに似た感情と、たしかな記憶が残る。
僕たちは、もっと助けられていい。
いろいろな形で。
助けないと、助けられないということは、
自分の鏡に刻んでおいておく必要がある。
「500m美術館Vol.26『最初にロゴス(言葉)ありき』」より
会期:会期 : 2018年4月27日(金)〜2018年6月27日(水)
会場:500m美術館(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)
Text by
メディアリサーチャー 石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)
〜アートとメディアについて考えて、書くのが好きです。