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NEWS No.17059-5「あるメディアについて〜石を観ながら考える」

2017.12.16

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あるメディア〜「非常識な生き方」
を語るメディアってどうなんだろう?

「水石」を少し前からやっている。石に自然の風景を見立ててを室内の中で楽しむこと。家に置いたり展示の出品している。石は削ったり、色をつけたり等を手を加えてはいけない。僕は「水石」もひとつの「メディア」だと思っている。だから、「石」をみながらメディアについて考えたことを時々書いていきます。

今回は、何を書こうか。写真の石は静内の川で採ってきた石です。全体の形はシンプルすぎる石です。でも左にある一筋の白い線。これがいい。これは加えたものではない。最初からあるものだ。僕はこれを「滝」と見立てています。細いですが、上からまっすぐではなくて、少し曲がっているのがいい感じです。さて、今回は「非常識な生き方」とメディアついて書いてみます。

ブログを中心とする、インターネットの「個人メディア」。その発展は凄い勢いです。その中で、僕が興味深いと思うのは「常識からはずれた生き方の提案」をビジネスとして、発信するメディアの台頭です。僕はそれらについて読物としては興味深い。でも、それを自分を客として、カウセリングや、セミナーなどにお金を払うのはどうなんだろうと疑問に思う。以下に私見を書いてみたいと思う。あくまで僕の考えです。

なぜ、疑問なのか。結局「生き方」というのはとっても個人的な問題で「常識をはずれて、こう考え方変えれば、必ずうまくいく」という公式は成立しないと思う。なぜならばまず「考え方」だけで現実を変えることはできない。これは物理的な問題なので明白。現実を変える可能性を生み出すには「行動」が必要。では「行動」すれば変わるのか?というと、それは行動する人の性別、性格、年代、学歴、職歴、環境によって「変わるか」または「どこまで変わるのか」の効果はまったく違う。

だから、同じ行動でも劇的な効果を発揮する場合もあるし、逆にまったくない場合もある。だから、まったく未知数なのだ。まだ、それがある程度「常識」からのアドバイスであれば、過去の事例の蓄積から、予測もつくかもしれない。それが「非常識」な方法だとまったくわからない。他者がうまくいった非常識な方法が、自分が真似してもうまくいく気がしないのだ。真似をして成功するほうが奇跡だ。僕はそれに人生をまかせなたいとは思わない。

では、どうすればいいのか。すごい当たり前だが僕は生き方は、結局は自分でよく考えて、軌道修正しながらやっていくしかないと思う。自分の生き方は自身でカスタマイズするしかない。でも、実はそれが一番むずかしい。常に自問自答しないといけないから。それなら他者の一発逆転なアドバイスに耳を向けたくなる気持ちは凄いわかる。でも、なんかそれは違和感があるんだよね。大変とか、つらいならまだできるけど、違和感のあることを続けるのは大変ではないか。

僕は「生き方」はアートや本、映画等の芸術で学ぶことが多いと思う。それらには具体的なアドバイスはないけど、どこか自分の生き方や行動の芯になっていると感じる。「常識」的な「人生訓」のような本を読むのもいい。その場合の選択のコツはずっと重版を重ねてきたような本だ。例えば聖書はもっとも古く、そして現在も売れ続ける強力な本だ。僕も時々読む。聖書にある「明日のこと思い悩むな」なんて普遍的で素晴らしい言葉だと思う。真理がシンプルなのだ。

自分の人生は自分で考えて、自分で実現するしかない。シンプルに考えよう、それしかないのである。他者の「生き方」って、自分にとってはフィクションではないか。それにのめりこんで、自分の生きかたに重ねるには違う感じがする。またそれが「非常識な生き方」なら、なおさら参考にするのは難しい。僕は世の中は想像以上に常識で成立していると思う。

「常識」を疑うこと自体はいいと思う。でも、それは自分で考え、生活に取り入れるのは自分であり、結局生き方とは常識ベースで考えながら、非常識も時々考えてみる、というのが僕はベストだと思う。ブログで非常識な他者の生き方を学ぶより、芸術から生き方を学ぶのが僕のおすすめです。それはわかりにくいけど、それを読み解く自分に価値があるのだから。

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Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

 

 

 

NEWS

NEWS No.17058-4「堀内まゆみ 手のインプロヴィゼーション(即興)」

2017.12.10

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みなさんは「Pepper」を知っているだろうか?ソフトバンクショップで販売されている人型ロボットである。小学生低学年くらいの身長があり、存在感ある。お店での待ち時間、僕は「彼」に相手にしてもらう。彼との会話で、独特のカン高い声の次に印象に残るのは「手」である。そこは他の部分に比べて声とともに精巧な動きをする。顔は固定なのに「手」が会話をサポートする表現方法として用意されている。なにかを持つための道具としての手ではない。表現するための手なのだ。

堀内まゆみは、赤ちゃんからお年寄りまで誰でも踊れる「コミュニティダンス」に興味を持ち、身体感覚・ことば・コミュニケーションを通じた作品づくりを、舞台やパフォーマンス、映像、ワークショップを開催して模索している。本作品では、0歳〜92歳まで老若男女56人の方々に手を動かしてもらい、それをカメラに収めた手のインプロヴィゼーション(即興)が12のディスプレイに繰り返し表示されている。

そこにあるのは「手」だけだ。でも、なんとその表情が豊かのことだろう。なんとも愛しくもあり、意図していることを想像したくなる。話は少しズレるけど、手に対してフェティシズムを感じる人もいると聞く。そういったことも、こうした手だけ切り取った場面を見ている、その気持もわかってくるようだった。

堀内まゆみが着目した「手」の持つ表現は、コミュニケーションとアートを考えさせる大きなテーマだと僕は思った。僕はいつも自分の手から、何を発信しているのだろうか。それを考えることが大切なのだ。それを気がつかせてくれる作品だった。

ishikawa

Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

「JR TOWER ARTBOX  堀内まゆみ 手の手のインプロヴィゼーション(即興)」
会期 : 2017年9月1日(金)~2017年11月30日(木)
会場:JRタワー1階東コンコース(JR札幌駅直結)

 

 

 

NEWS

NEWS No.17057-3「ワビサビ展 『HERE MAN』」

2017.12.09

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わからない楽しさ。
アートにはそれがある。

感覚の話。生きていると「わからない」ことがつらいことがある。
世の中には「わかること」と「わからないこと」があるのだ。まずは、このふたつがあることを認めて、指先に置いたシーソーのように、バランスをとることが大切だと思う。そのシーソーにのっているのは実は自分なのだ。そこから落ちた先は底知れぬ闇なのだ。あくまで、それが行動や感情を意味する時。生きることはシリアスなこと。

でも、「わからないこと」に気軽に付き合う方法もある。僕はそれは「アート」だと思っている。そして、世の中に完璧にわからないこと、というのは僕は少ないとと考える。その点は「わからない」という全否定ではなく「曖昧」と言い換えられると思う。アートの「曖昧」は、魅力だしどこまでも安全だ。曖昧の感覚を楽しむの楽しいことだ。

ワビサビは1999年札幌で結成。工藤“ワビ”良平と中西“サビ”一志によるユニット。グラフィックデザイン、オブジェ、映像、インテリア等、多方面の作品を発表。国内外で受賞歴がある。ひとことでは説明しきれない、オリジナルの作品をコンスタントに作り続けている。

本展示では、さまざまな「顔」を原型がわからないほどデジタル技術で加工。それをキャンパスに印刷という特殊な技法で、アナログっぽい質感が魅力になっている。顔という、もっとも「個性」があらわれるものが変形して、匿名的な表現になっているのがユニーク。「曖昧」な魅力がたっぷり楽しめる。安全なミステリアスを見てみよう。しかも壁に飾れる。

そして、世の中が少し生きやすくなる。

ishikawa

Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)

ワビサビ展 「HERE MAN」 
会期:2017年12月1日(金)〜28日(木)
時間:11:00~19:00
休廊:月・火曜日
会場:クラークギャラリー+SHIFT
住所:札幌市中央区南3条東2丁目6 MUSEUM 2階
TEL:011-596-7752

http://www.clarkgallery.co.jp

 

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