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「みえすぎ」
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僕はメガネをかけている▼つまり目が悪い▼2枚の高性能なレンズによって▼(非)日常は困らない▼実は心の目も少し悪い▼これには眼鏡がない▼だから時々世間が見えにくい▼心の眼鏡店はどこにあるのやら▼どこかにあるとは思う▼でも、僕はこのままでいいと思う▼なぜなら▼心の目が良くて▼世の中がはっきり見えるのは▼とてもツライ▼コトだと思うのだ。
石川伸一(NUMERO DEUX)
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「みえすぎ」
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僕はメガネをかけている▼つまり目が悪い▼2枚の高性能なレンズによって▼(非)日常は困らない▼実は心の目も少し悪い▼これには眼鏡がない▼だから時々世間が見えにくい▼心の眼鏡店はどこにあるのやら▼どこかにあるとは思う▼でも、僕はこのままでいいと思う▼なぜなら▼心の目が良くて▼世の中がはっきり見えるのは▼とてもツライ▼コトだと思うのだ。
石川伸一(NUMERO DEUX)
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映画の琴(コト)『ファニーゲームU.S.A.』
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「隠された記憶」で気になったミヒャエル・ハネケ監督作品。本作は、『ファニーゲーム」(1997)という作品のハリウッド・リメイク作品。リメイクの監督が同じというのは珍しいかと思う。
キャストがティム・ロス、ナオミ・ワッツというのはメジャー感あるね。
さて、賛否両論の本作だが、僕の総論として「否」かなぁという感じがする。 一般的なハリウッド映画の暴力は結果的に観る側にカルシタスを与える場合が多い。 そこに起承転結がある。そこに僕たちはあくまでフィクションの「許された暴力」という簡単に許容する。 しかし、ハネケはあくまで「暴力は許されないもの」という視点で描く。
それはそれで、まったく正しい。暴力はいけない。でも、本作はまるで暴力のドキュメントをみせつけられ、それがフィクションでしたという内容であり、それは一般の映画の構造としてはかなりツライ。 これがデヴィッド・リンチぐらい幻想的な味があればいい。しかし、本作は映像は寒々としたストレートな作りであり、救いがない。
「救いのなさ」がハネケの「暴力」に対するメッセージというのは理解できる。でも、観る側はツライなぁというのは本音。引き気味の構図が多いのが、恐さ倍増させるのはいいな、とは思った。僕は「隠された記憶」のほうが好きだな。
Text & by 石川伸一(NUMERO DEUX)
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「お散歩花見」
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札幌もここ最近、急速に桜が咲きはじめた▼僕も桜は好きである▼可愛らしい▼僕は特にプライベートで行事として花見には行かない▼でも、近所に咲く桜を散歩しながら楽しむは好きだ▼通勤路を歩くだけで、桜は結構みかける▼公的な施設から、会社、個人の住宅まで桜はいろいろな場所に植えられている▼そういった、さりげない場所に咲く桜を発見するのが好きだ▼桜とその桜の咲く場所について、いろいろ想像を巡らすのも楽しい。
石川伸一(NUMERO DEUX)
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