REVIEW

美術史の字間 No.180104「フラ・アンジェリコ キリストの嘲笑(1441-43年頃) 」

2018.01.13

キリストの嘲笑

現代美術が好きな僕の美術史の話。

成人式の「式」って、なんだろう?と思う。要するにイベント。それは人の興味を惹きつける。同時に面倒臭ささを感じさせる時もある。感じ方は人次第。僕達の人生の中で「イベント」というのは、大きな割合を占めるのではないか。それにのるか、のらないかの選択を僕達は求めらている。

さて、二回目です。本コラムの趣旨については、前回を参考にしていただければ幸いです。まぁ、上のタイトルとおりです。美術史について、作品紹介を中心に書いていきます。

さて、前回につづいてフラ・アンジェリコの作品です。本当は別の人にしたいと思ったのですが、この作家はやはり興味深い。制作された時代の作家にふさわしく、主題はキリストであり。作家自身も僧侶なのできっと生真面目な人だと思う。そのストイックさから独自の個性が出ているが興味深い。それは、前回紹介した「受胎告知」も、スッキリとした構図の中に可愛らしいも感じる色使いで天使とマリアが描かれている。

さて、本作も聖書の話が主題の作品。聖書ではこうです。逮捕されたキリストが、長老や学者、民衆らに「おまえは神の子か?」と問いつめられ、唾を吐きつけられたり、目隠しをされたり、棒でなぐれらるという「仕打ち」を受けます。その様子が描かれている。

本作はキリストの顔のまわりに注目。先に書いたキリストの受けたひどい「仕打ち」が、静的な絵画の中で、動的に描かれる。これを観た人はまるで「映画」のように、これらのひどい仕打ちを受けことを想像するのではないか。

「絵画」という静的な中に突然現れた「時間軸」を感じさせる、唾をかける男(の首)、叩く棒、透けている目隠し。それらのタッチの持つわかりやすいさは、より本作を奇妙な印象を与えること成功している。でも、その奇妙さは作家の意図したものではないだろう。

今から500年以上前にこんなアイディアを思いついたジェリコの発想には感心する。それも、あくまで生真面目に聖書のシーンを再現しようとした結果ということも僕に深く心に残る。フラ・アンジェリコは興味のつきないアーティストである。

キリストを嘲笑する「イベント」に参加した人々。
昔からイベントには、いろいろな意味があり、表現もされ続けるだろう。

ishikawa
Text by  メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)


 

 


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