意識がないと自然になれない 自然体でいることは
強く意識しないといけない
その激しさは静かにクールだということ。
寝てたい、学びたくない、働きたくない…
自分のぼんやりとした欲望で生きるのは自然体ではない。
自分はどこにいるのか?ということが気になる
これは住所のことでも、社会でのポジションとも違う
自分の考えで生きているのか、ということ
実は他者の評価で生きていないか?
自由と評価 終わらないテーマ
その鍵は自分の意識
盆栽の会に入っている。といっても僕がやっているのは盆栽ではなく「水石」。川や山で取れる自然の石を加工せず、そのままで自然の風景を見立て、台や卓、水盤などを使って飾る趣味である。盆栽と同じくらいの歴史と関わりがあり、相性がいい。写真はそこで開催される展示会で今回僕が出品した石。北海道、襟裳岬の付近の豊似山地から採れる石である。わりと激しい形のものが多い。写真の石もそういった形だと思う。でも、シンプルな輪郭線が感じられ、まとまりががある。
そのまとまりが気持ちいい。
石を眺めてるいると
自分の意識がぼんやりとわかってくる
なぜなら、水石には余計なノイズがない
自然から採れた、そのままの石に広大な自然を「見立てる」
見立てるには自分の意識をつかう
ノイズのない世界の見立ては、自分の意識と向き合うこと。
それが楽しいし、自然を知る
「平成30年 緑寿会 春季盆栽展」
日 時:2018年6月16日(土)ー6月17日(日)
会 場:室蘭市市民会館
Text by メディアリサーチャー石 川 伸 一 (NUMERO DEUX)