水と油
自分の心には、なにが余って、なにが足りないのだろうか。それはひとりで考えてもわからないと思うし、家族、他人にもわからない。実は誰にもわからない。
なぜなら、自分の心の過不足というのは、自分自身で定義したとしても、心からにじみ出る自分の性格が社会では結果的に、他者によって判断される以上、自分の判断では意味はない。
といって、他者の判断は、その人とに関係性、立場によって、言うことは変るはずだから、人によって違うだろう。他者にニーズをすべてクリアすることは不可能だし、それができても解決できるとは限らないと思う。そうなると、自分に心には、なにが余って、なにが足りなかを考えるのはあまり意味のないことかもしれない。心については。