毎日の字間 2013.12.06「鍋もの」

-------------------------------
鍋のおいしい季節ですね。
-------------------------------

昨日、モツを入れたキムチ鍋にしてみた。モツが良い味を出していた。おいしい▼カセットボンベを使って食卓テーブルの上で食べてみた。鍋は数人で、またはひとりで食べても楽しいものである。ひとりすき焼きというのもいいものですよ▼ひとりの場合でもカセットコンロを使うのがいい。面倒ではないですよ。ただ、置くだけだから。加熱から保温まで楽しむのが鍋の醍醐味かと思う▼深めのホットプレートという方法もあるけどコンセントの場所を考えたりするのが意外に面倒▼また、カセットコンロのほうが直火が使えるので網焼きでも使える▼カセットコンロは優秀なパートナーです。

-------------------------------
失礼します。
------------------------------

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第10回「時々、サイフをもたない」

Sg

Sigo

第10回
「時々、サイフを持たない」(2013.8.20)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。



■ひとつお金の節約術をアドバイスしたい。シンプルです。

それは…「時々、サイフを持ち歩かない」ことです。





「サイフ」とはなんだろう?それは社会とつながるためのツールで?僕は、外でなにかにつながる時につねに「お金」(クレジットカードも含む)が必要な気がしている。

「買う」時にお金がいるのは一番当然。どこかに「行く」にもお金がいる…地下鉄、市電、タクシー等。なにかを「観る」のもお金がいる…映画、美術館等。そして、誰かに会うのもお金が必要、カフェ、レストラン等。

もちろん、お金を使わないで上記のことを不可能ではない。なにも買わず、歩いて(自転車に乗って)、無料のギャラリーや図書館、公園等で人に会えば、お金を使わなくてすむ。でも、自分の生活環境では、そういったことを実践するのはかなり意識的にならないと難しい。「サイフを持ち歩かないなんで、不可能じゃない?

こう書いていると実行する前にあきらめている自分がいた。しかし、しかし、しかし、究極のお金管理として、「時々、サイフを持ち歩かない」というのは実はアリなのではないかと思う。サイフがなければ、衝動買いを防ぐことができる。そもそも、サイフがなければ、お店をみようという気分にあまりなれないし、カフェにも行けない。サイフのないアフター5を、どう楽しむのかというがテーマになる。「お金がない」ことによって、行くところ、見えてくる光景があるのではないか。そこが実は最大の狙いである。

サイフを持たないで、外出(出勤)なんて、いくらなんでも極論ではないか?と思われそうだ。たしかに極論であり、「緊急に必要な場合はどうするんだ?」という心配もある。しかし、生死に関わるような本当の緊急なら、それはお金の問題ではない(警察・救急車等)。「でも、毎日ランチとか、外で食べるので」。ということなら、そのランチ代だけを持ち歩けばいいと思う。サイフはいらない。そして後でいいからお弁当を作ることをおすすめする。

さて、「時々、サイフなし生活」を実行は、やってみると意外にできる。僕の生活パターンだと、週末以外の平日のルーチンな日々なら、ランチは自作だし、飲み物は仕事場にドリップコーヒーなり、自分用の紅茶のティーパックなり、カフェオレの粉末があります。お菓子もあよ。

それでも、最初、サイフを持たないで家を出るのはなんとなくドキドキした。自分で出費はしなくても急な支払いは発生しないか?でも、急な支払い(自分が忘れていたのではなく)は普通は1日は待ってはくれるでしょう。翌日支払えばいい。お金を使わないという話ではないのだから。

実際、「時々、サイフを持ち歩かない」のお金の節約効果については、まだまだ未知数です。結局、週末にお金を使う時は使うのですから。でも、まずは経済的な効果を急ぐより「お金を持ち歩かない」という心理的な部分を楽しんでいきたい。その結果、お金の節約にもなった、というお金の節約は2次的に捉えたほうが、逆に続くかなと思っている。

「サイフの呪縛」から離れてみませんか? 時々。

お金もかかりませんので。



文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第09回「欲しいは気持で解決できるか」

Amazon


Sigo

第09回
「欲しい気持の中身とは」(2013.7.21)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。



▼「ほしい」とはなんなの?

・欲しいについて

「欲しい」という気持はいろいろ。「君が欲しい」というのではなくて今回は「モノ」が欲しい話。つまり「物欲」。そのおつきあいを考えたい。その内容も「買わなくても普通に困らないもの」について。生活必需品は検討の余地はないのだから…といいたいところだが…実をいうと僕は「生活必需品とはなんなのか?」についても大きく考えたい気持ちがある。でも、今回、その話をすると話が大きくなるのでヤメとく。

今回のテキストの都合上「生活必需品」仮定義としては、それがないと「物理的に生活できないもの」としておく。例えば、「生きるための主食」とか「仕事に着ていく服」とかですね。ザックリいきましよう。今回の論点は「楽しみのために買うモノ」についてですから。

・僕の物欲の歴史

自分のことだと10年くらい前は、欲しいものをあんまり考えないで買っていた。さすがに借金(ローンを含む)までして買ったことは、ほとんどありません(記憶にあるのは1回くらい)。新しいモノ好きとして、デジタル・デバイスや書籍やレコード、雑貨などなど、パッと買っていた時期がありました。街を歩いてお店を見るのは好きですしね。買う時はそれなりに自分で理由付けをしていました。図式でいえば「よく考えて(またはよく考えないで)」→「買ってました」。

それが、最近は「よく考えて(またはよく考えないで)」→「買わない」ということが多くなった。その変化の時点はよくわからない。ある時からコーヒーに砂糖を入れなくなったのか憶えていない、と同じくらいの「いつのまに?」という変化なのです。「物欲」は相変わらず旺盛なんですよ。お店を見るのが好きだし、アマゾンの欲しいものリストを充実せさるのも平日の食後の楽しみみたいなものです。

・欲しいものをリストにしただけで、満足する。

アマゾンの欲しいものリストは便利なツール。これはアマゾンで欲しいものを見ていて、でもカートに入れるほどのものでもない、というものリストで管理できる。欲しいものが増えた分類するために自由にフォルダーを作ることもできる。さらに、アマゾンで売っていないものもこのリストに登録できる。売っていないものは登録したからといって、アマゾンで決済できる訳ではないけど、とにかく欲しいものを一元管理できるのは嬉しい。

本来「買う」ための欲しいものリストであるけど、最近はリストにしただけで満足するコトが多くなってきた。自分の物欲リストを確認できるだけで、それだけで買わなくても楽しくなってきた。よくいう「買うまでが一番楽しい」という気持ちに近いかもしれない。買わない理由については経済的理由も大きいのだけど「お金がないから、買えない」ということにホッとすることがある。「よかった、買えないぞ」ってね。

もちろん買物を否定してる訳ではないから、たまに考えに考えて買うと、それは嬉しい。買物が減った分、買物の喜びは増える。成功する買物がしたいのだ。買物の勝者(!)でありたいのだ。どんなに高額な買物ができでも、それが物理的または心理的に成功しないと無駄な買物になってしまう。

・モノをもつ負担感にやられる。

「モノを持つ」ということに心理的な負担があると思う。モノは買った以上、つかわないともったいないし、管理もしないといけない。そして、自宅のスペースもとる。今の僕はその負担感が買う気分をマイナス(=慎重)にさせる。今は買うことより捨てる自分に快楽を感じている。または、買わない自分が気持ちいい。

お金をつかうなら、カフェに行くとか、美術館にいくとか、あとカラダに良い食品をとりよせるとか「体験」や「消えもの」に使うのが良い気分。そんな生活もどうですか??

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第08回「お昼の実験(完結編)」

Photo

Sigo

第08回
お昼の実験完結編)」(2013.6.8)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。

前回の話。仕事の合間のランチは外食をやめて、サンドイッチを作って、仕事場に持っていくことを思いつく


---僕の自作弁当は続いている。

朝起きて台所に立つのも生活の一部。

続けるコツはラフに経済的にということ。食パンは添加物さえなければいいので近所のベーカーリーで一番安いものをまとめ買い。冷凍庫にストック。具材は、なるべく冷蔵庫のあまり物をメインに使うようにしている。週に一度は、お弁当をお休みにする時もある。

写真は今のお弁当ツール。ランチボックスは、長沼のおいしいおにぎり屋さん「あぜっこ」で購入したもの。とっても軽くて、通気性が高く、そしてお値段が¥250と安い。ただ、欠点は華奢であるので、バッグの中などでこの上に重いものを置くのが無理かと。その点は困ることはない。これはおにぎり用かと思うけど、サンドイッチを入れている。さらにサラダを入れた小さなタッパウェアを入れるこ大きさもある。デザインも素朴で可愛らしい。

---愛しい具

さて、中身のサンドイッチは、具はいろいろ。ツナ、タマゴ、ポテトサラダ、キュウリ、ドライカレー、ハム、バター、マスタードなどを使うことが多い。具は結構、なんでもいける。夕食のサラダやおかずの残りも使うことも。「はさめれば何でも具になる」。それがサンドイッチ。あとタッパウェアに生野菜にドレッシング。おいしいドレッシングあると助かって、楽しい。

左のまぁるいやつが、スープを入れる保温密閉容器。スープは自然素材の粉末野菜ブイヨンまたはチキンブイヨンをベースに冷蔵庫の野菜を適当にいれて作る。レタス、もやし、キャベツ、なんてことが多いかな。そして、塩コショーで適当に味を調整。時には、オリーブ油やゴマ油を入れると風味がいい。挽肉もいいね。スープは一度に2日分はできるので、作って次の日は暖めて容器に入れるだけ。週に一度、粉末のポタージュにすることもある。楽することも大事です。

そして、ランチョンマット。このマットでランチボックスを包んで持っている。食べる時のランチマットにもなる。あとはプラスチックのフォークとナイフかな。これは、忘れやすいので仕事場に予備を置いてある。家を出る時、僕はランチだけ持つのは苦手なので、大きめのショルダーバックにほかの荷物も含めて持って行っている。

---つづく…予定。

最初に書いてけど、続けるコツはあんまり深く考えないで、冷蔵庫の残り物整理の感覚でやるのがいいかと思う。時々、良いハムが手に入ったりすると、「次回のお昼が楽しいぞ」と僕は心の中でニヤリとするのでした。

幸せとは小さな幸せのあつまりです。

仕事の合間の食事は日常の楽しみの大事な時間。

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 


| | TrackBack (0)

仕事の字間 第07回「お昼の実験(後編)」

Photo

Sigo

第07回
お昼の実験後編)」(2013.3.9)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。

前回のあらすじ。
仕事の合間のランチに軽く
絶望していた僕はふと仕事に行くまえにサンドイッチを作って、仕事場に持っていくことを思いつく。そして、なんとか完成はした。

さて、どうやって仕事場に持っていこうか、サンドイッチ容器など持っていない。タッパウェアを探したが、さすがに正方形なサンドイッチがそのまま入る容器は見当たらない。それに 食べにくいなと思って、切ることする。結局、タッパに入れるために4つに切った。あと、冷蔵庫にキャベツのザワークラウトがあったので一番ちいさなタッパに入れてみた。

大小ふたつのタッパ をジップロックにいれて、ナプキンかわりにキッチンペーパーを突っ込んだ。間に合わせ感覚いっぱいの外観がややというか結構恥ずかしい。ここは今後考えたいところ。そのジップロックを仕事用のショルダーバックのA4バインダーのとなりに入れる。さて、これで実験的お昼の準備完了。ここから、朝食作業に戻る。今日はいそがしい朝だ。朝食の準備ができると、僕は一旦、自室に戻り、メールや予定のチエックを6時30分くらいまでにおこなう。そして、シャワーを浴び、朝食を食べて仕事に出かける。実験的サンドイッチをバッグに入れて。

さて、お昼の時間になった。いつもなら買ったものを取り出すか、食べに出かけるのだが今日は違う。バッグからジップロックを取り出す。ナプキンといいたいがキッチンペーパーなのが、やはり継続的に恥ずかしい。ここは最低でも茶色の紙袋に、柄入りのナプキンだよなぁ、と思う。そうだ、ここで保温の小さな容器があれば、スープを作ってくるのもいいなぁと思う。思ってばかりでもしょうがないので、今回の飲み物は仕事場にあったティーパックの紅茶にする。

さて、大タッパを開けて自作サンドイッチを取り出す。食べてみる、うまい。もっと細かく説明すると「ふつうにうまい」。これが僕の求めたいたものだった。僕は、最近のお昼はこれがなかったのだ。

そこそこよさげなハムにマスター ド、マヨネーズとコショウで味付けをして刻んだ茹でダマゴ、そしてシャキシャキしたタマネギ。そして、小タッパからはキャベツのザワークラウトを食べる。やや、 酢が多かったが有機のキャベツがうまい。そして、ティーパックの熱い紅茶を飲む。うまい。安心できる食事。これはいいなぁと思う。なぜ、 今しなかったのか後悔したいくらい。懺悔の時間。

計算をしよう。家計の時間。僕は平均すれば、平日お昼に最低500円はつかってきた。最低ラインで一ヶ月なら12,000円である。僕はこの金額自体が特に悪い、とは思わない。でも、この支出はまったく惰性で、楽しくなかった。楽しくないけど、お昼を抜くほどお腹も持たないので、食べていた。まさに惰性。空腹は解消されているが、どうも精神的には気分転換にならなかった。人はパンのみに生きるに非ず。自分なりに満足してるなら、1万程度の出費は許容できる。しかし、満足してなかった。しかし、僕は今回の自作のサンドイッチは、感動するとかのレベルではもちろんないが「満足はした」。これはとても大切なことだ。人生とは「満足」という感情をどこまで重ねられることかが価値がある。

外食の満足度と年齢の問題もあるかと思う。僕は昔ほど外食に対する満足度が高かった気がする。なんだろうか20代や30代前半くらいまでは500円程度でも気分的には盛り上がって、喜んでお店のランチメニューやコンビニのお弁当やサンドイッチを食べていた。しかし、最近数年、自炊をするようになって、さ らに自炊の食材も、有機とか無農薬、特別栽培、最低でも国産、というのをやっていくと、どうも外食に対する考えも変ってきたようだ。外食=スペシャルな気持ちから遠ざかった。もちろん、うまいくて満足できる外食もある。しかし、今の僕は満足できない外食もいろいろ存在するようになってしまった。

こうして、僕の「新しい昼食」は、はじまった。うまくいく感じだったので、持っていく容器をキチンと買おうかと思って週末ロフトに買い行くことにした。また、今回長くなってしまったので、ロフトで購入した現在の僕の自作ランチセットの紹介は、次回サラリとしたいと思う。

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 


| | TrackBack (0)

仕事の字間 第06回「お昼の実験(前編)」

Photo

Sigo

第06回
お昼の実験」(2013.2.24)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。




最近、自分の財布を目にしていない。そのキッカケは、冬のまっただ午前4:30ころ、朝食の準備をしていた時だった(まず準備。食べるのは7時前後)。好きなポッドキャストの番組を聴きながらの20分程度の自炊行為。家事であり、気分転換の好きな時間だ。自然光もなく、薄暗い静かなキッチンは僕の精神のたまらなく安定させる。

おいしいピザ用のナチュラルチーズが手に入ったので、ピザトーストでも作ろうかと思いつく。最近、しみじみ思うのはチーズの重要性だ。これにケチってはいけない。これには真理がある。さて、じゃあ朝ピザトーストか、といつものルーチンの思想に入っていたら、ふとサンドイッチもいいよね、と思った。

サンドイッチ、というイメージから浮かんだのは、アメリカの学生のお昼。ベンチで食べる光景。僕はアメリカには行ったことはないけど、よく映画で学生のお昼のランチは、家からサンドイッチ果物、というイメージだよね、と思った。スヌーピーのチャーリーブラウンや親友ライナスがならんで食べる感じ。では、朝食はサンドイッチにしようか、と思った。いや、まてと僕の頭は、お昼ごはんに飛ぶ。もはや、ポッドキャストの内容は頭によく入らない。

僕のお昼ごはんは基本は外食であった。しかし、正直、外食には飽きていた。僕の仕事はデスクワークで、仕事中の外食というとひどく限られたものになる。お昼休みで入手できる範囲限定、加えて毎日のことだからお金もかけられるものでもない。僕はヤンエグではないから。ヤングでもなく、エグゼクティブでもない。どちらかは欲しい気もするけど…。すると、決まりきったメニューとなる。出入り業者の弁当か、コンビニエンスストアか、そのワンパターンぶりに飽きてはいたのだが、完全に惰性で食べていた。機械的に。「マン・マシーン」である。テクノは好きだが、テクノな食生活は無理かもしれない。

そんな、状況のなかでふと自作サンドイッチでお昼というアイディア。神よりの提示である。いい予感がして実行してみることにした。では、朝食をどうするか、玄米シリアルがあるので、それに青汁の粉末をかけて、それにプルーン入りのヨーグルト、あと毎日飲む、低速ミキサーで作るニンジンとリンゴの小松菜、レモンのジュースでいいやと思った。液体な感じな朝ごはんだけどね。

さて、お昼ごはんの実験に移ろう。冷凍している朝食用の食パンを取り出して、そのままオーブントースターで加熱して、軽くトーストする。解凍はしなくていいのは実証済み。その間、冷蔵庫を眺める。僕は冷蔵庫を見るのが好きだ。その次に好きなのが、食料ストッカーの6つの引き出しをあけること。冷蔵庫からバターを取り出し、必要分とって、レンジで10秒程度入れて溶かし、パンに塗りやすくする。実家からもらってきたハムが目に入る。これはいい、あとタマゴがある。

少々面倒だが、ゆで卵を作ろう。あとタマネギ。今回の材料はこんなところでいいだろう。ミルクパンでゆで卵を作ることにする…6分加熱。その間、ハムを薄切りにして、タマネギをスライスして、水通しをしていく。粒入りマスタードもあって良かった。これはいい予感。ゆで卵ができたら、それを刻んでマヨネーズとコショウで味付けをする。タマゴ2個分を作ったみたら相当できた。これなら3回分ぐらいになりそうだ。良かった。ゆでたまご作業に時間がかかった。

さて、材料はそろった。後は挟むだけだ。食パンに、バターを塗り、マスタードも塗る。ハムとその上にゆで卵の具材と、そして最後にタマネギ。タマネギ余った、これもあと2回分はいけそう。そして、もうひとつのパンでサンドする。これで完成。ゆでタマゴの作業がなければ10分もかからない。次回はタマゴはあまりがあるので次回は素早くできそうだ。

僕の自炊の旅は長くなりそうなので……次回後編に続きます。

ただし、この話は大きなオチがある訳ではありません。
お昼用にサンドイッチ作って良かったなー話です。

 

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第05回「恐怖の気分返還」

4

Sigo

第05回
「恐怖の気分返還」(2013.2.18)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。





自宅の駐車場。雪で車が埋まった時、とても明るい気分にはなれませんが、あんまりそういう時は考え込まないで、できるだけ暖かい作業のできる格好をして、除雪に取り組むのがいいようです。しなければならないことに淡々と取り組むのは美しいですね。

さて、今回は前回の「捨てる」のテーマを今回もやりたいと思った。でも、とりあえずやめときました。「捨てる」は僕にとって、極めて重大なコトでして、2回連続で書いてもとても終わるものでもありません。多分これから繰り返し、語っていくことでしょう。先は長いですから。

一息ついて、今回は別テーマ。でも、実は結局は「捨てる」というところに関係してく可能はありえます。それだけ「捨てる」というテーマは深い。結局、生き方というものは、「なにかを選んで」「なにかを捨てる」という連続だと思います。「捨てる」というもはモノだけではありません。自分の心の中になにかを「捨てる」ことも大事なのです。

という訳で「捨てる」は少しよそに寝かしておいて、今回のテーマは「気分転換」。これはホント恐ろしいことです。まず、考えないといけないのが、「気分転換の成功」という大問題です。

気分転換は「転換が成功」してはじめて意味を持ちます。成功があれば必ず失敗がある訳です。「失敗した気分転換」というのは最悪です。仕事等の進行を止めて、やってみたのに結局、時間のムダになってしまう訳ですから。

ムダにも意味がある、なんて考えてはいけません。ムダなものはムダなのです。「ムダから生まれた」なんてエピソードが時々披露されますが、結局それはムダではなかったのですからムダではないのです。随分、僕はムダという言葉を使ってしまって、ここにムダが発生しています。でも、僕はあえてデリートキーを押さない気分です。それだけムダのムダは主張しておきたい。

覚悟のうえ真剣に気分転換しなければ。ということです。タバコは健康に悪いらいしですが、それでも吸うのはひとつの覚悟があるかもしれないです。僕はそう思います。

そして、気分転換とは、正確には気分「返還」だと思うのですよね。人は基本的に正常な思想や思考を持っています。性善説(僕の考える性善説は性悪を常識によって性善に持っていること)に基づいて、気分転換という行為によって、自分本来の正常で常識的な気分へ「返還」していくことだと思うです。

さてさて返還。返還。仕事、家事、勉強がたび重なることによって、精神の安定は崩れていって、性悪な部分を動き始める。そうなるとグンと精神が危険な状態になってきます。こういう時に気分転換が必要になってくる。その方法は、人によって違うでしょう。だから、おまかせします、好きなことをどうぞ、なんてことは絶対書きたくはない。なぜなら、成功する気分転換の方法、というのはひどく限定的なコトだと思うです。

気分転換は僕はこう定義します。リスクを伴わなくて2〜3分で完了できるもの。これを全力で気分転換に取り組むということです。例えば、僕の気分転換は上写真のようなタブレットを1粒口に入れて、パソコンの時計を2分程度なにも考えないで眺めます。これだけ。この程度で気分転換には十分だと感じます。「それは足りないでしょう」という人もいるかと思いますが、案外気分転換というのは2分くらいで大丈夫なのです。大事なのはできるだけ「なにも考えない」という状態が気分転換になるということです。

逆に考えると、人間がなにも考えないような状態でいるのは2分以上は難しいのではないでしょうか。必ず、雑念が流れてくるし、それがあるともう気分転換にならない。だから、僕は2分程度できるだけなにも考えないように努力する。これが案外いいものです。僕は気分転換するのにたくさんの時間は不要だと思うです。5分以上は長いと思う。それだけ時間があればひと仕事を進行させることができる。結局、いくら気分転換に時間をかけても、仕事自体が減る訳ではないですから。

「気分転換」は「リクリエーション」とは違います。前者は、「休養」であり、後者は「遊び」です。これは区別して考えないといけません。「15分ゲームをする」とか、「DVDを観る」というのはもう気分転換ではなく、「リクリエーション」、つまり「遊び」です。それ自体は大変良いのですが、仕事の途中で「遊び」を入れると、基本的に効率は悪くなると思います。気分転換の役割はあくまで、自分の気分を、シンプルで良識ある自分に「返還」していくことですから、どこでもできて、時間がかからない方法がいいと思うです。

実際、雑念を減らした2分という時間は以外と長く感じますよ(ちよっと、やってみてください!)。2分の間も雑念を払うは難しいので、そんな時は、「何も考えない」というの言葉を繰り返すのが、なかなかいいですよ。

気分転換中は「雑念を捨てる」……結局、「捨てる」話になりましたね。

 

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第04回「モノを捨てる行為と心の関係」

Photo

Sigo

第04回
モノを捨てる行為と心の関係」(2013.2.11)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。




昨年末、「エイヤー」という感じだった。CDを処分をしたのは。僕は普通な感じの音楽好きで、今まで何度かは整理はしたものの500枚程度はあったかと思う。これぐらいあると、物理的なスペースを結構とってしまう。また結局は1年ぐらい、いや5〜6年くらいまったく聴かないCDもある。というか、聴いているCDのほうが圧倒的に少ない。

「不要なものを持っている」そういう状況に取り組むのが最近のテーマのひとつでもある。要するに「捨てる」ということですね。

CD、レコードに限らず、「捨てる」という行為にブレーキがかかるのは、「後悔するかもしれない、必要になるかもしれない」という内なる声のささやきである。これはやっかいだ。なぜなら、それは100パーセント否定はできないことだからである。

しかし、よく考えてみた。この問題には深い思考が必要になってくる。それは「このCDがなくなって困ることはあるだろうか?」ということである。僕にとってCDは娯楽でしかない。生活の必需品ではない。そして、なんといっても処分前にiTuesにいれておけば聴くことができる。あとは、物理的なCD盤やジャケットを持っていることが大事か、ということである。もちろん、データーは消失の可能性はあるが、今のご時勢その可能性は少ないし、バックアップも可能だ。ジャケットは惜しいけど、音楽を楽しむ本質では困らない。そして、ダメ押しはどうしても手放したことが後悔するなら、大部分のものは再購入可能である。また、YouTubeでも聴けるしね。コレも大きい。

結局、僕はほとんどが聴かないCDを持っている理由は気分的にあるかと思っていたけど、実はそれもなかったと結論が出た。これは大事なことで、僕はメンタルとして持つ理由はあると信じていた。だから持っていた。しかし、自分の中で検証してみると、持つ理由がないのに持っていたのである。

この「自分のメンタルの問い合わせは」はとても大事だと思う。僕は物理的、実用的な理由はなくても、気分で持っていたい、というところは僕は大事なことだと思うし、大切にしたい。人間は実用性だけでは生きられないだから。でも、僕は自分の心に深く問い合わせてみると、気持ちとしてもCDは不要だった。

そして、処分してわかるのは、人間はモノを捨てれば、捨てるほど心が軽くなる、ということである。それは実感としてある。ヒトは必ず持たないといけないものに意識を集中するために、不要なモノは捨てるべきだと思った。


文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第03回 「タイムマシンを作ろう」

Si30_2

Sigo

第03回
「自分のタイムマシンを作る」(2013.2.4)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。



時間とは不思議なものです。時間をコントロールすることはできない、といわれる。それはそうです。過去には戻れないし、未来にはいけない。でも、そうだろうか?

最近、僕は物理的なタイムマシンは無理でも、自分の「心の中のタイムマシン」は可能ではないかと思うことがある。その取り組みを習慣としてやってみている。

方法はシンプル。自分の時間について、1日10分でも考えてメモを作るのだ。それだけでいい。続けることを一番優先したいので、続けられる時間設定がいい。時間があれば20〜30分くらい延長してもいい。でも、最低10分は欲しい。思考にはそれぐらいは必要だ。場所はメモができるなら、どこでも。職場でも、自宅でもカフェでもいい。

メモはノートでも、メモ帳でも好きなものを。モールスキンでもコピー用紙でも、あなたが気分が出るものでいい。さて、何をメモするかって?それは「自分の時間について考えること」。例えば、「趣味の時間が平日に欲しい」「残業を減らしたい」「家族の時間をとりたい」なんでもいい。そこから、その解決案に矢印をつけて考える。キレイに書く必要はない。頭のイメージを捉えるためにメモにするだけだから。読めればいい。

簡単にいうと、自分の時間について、自分で一人会議をするのだ。ポイントはテーマは「自分の時間」だけ。時間についてひたする考える。そして、メモをする。時間について、「必要なものを作る」(=未来)か「ムダなものを減らす」(=過去)ということを自分の日常生活と照らし合わせて考えていく。それを毎日ためていく。

普段から「時間」について、みなさんは考えることはあると思う。ただ、多くの場合、時間だけではなく別のことも考えている中で、メモをとることもないので「時間についての思考」はバブルのように消えていくのではないだろうか。それだと「タイムマシン」にならず消えていく。

しかし、時間のことをだけのことを考え、かつメモをする。その10分間の思考とメモをすることによって、時間を調整するアイディアが浮かんでくる。そのアイディアが「タイムマシン」となるのだ。これをやると、「やりたいことをいつやるか」「惰性でやっている意味のないことをやめるか」というのが頭にまとまってくる。そうしたら、自分の時間についてのアイディアを少しづつ実行していく。それがあなたのタイムマシンとなる。

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

| | TrackBack (0)

仕事の字間 第02回「同じモノを意識する」

S2

Sigo

第02回「同じモノを意識する」(2013.1.19)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラム。

 

僕は「ちっちぇ〜男」で結構。でっかい男になりたいと思ったことはない。だって、大事なことは「ちっちぇコト」に常に隠されているかと思うから。

モノは少なく暮らしたい。そのほうが家や仕事場を広く使えるし、精神的にも良い気がする。モノの数だけ心が重く感じるのは僕だけではないだろう。「モノの数と心の関係性」についてはまた別の機会に書くとして、今回はモノを少なくに反して「同じモノ」を持つことを提案をしたい。

同じモノを持つことは2つの理由が考えられる。ひとつは「予備」。もうひとつは「よくつかうモノ」。

「予備」はわかりやすい。例えば、電池や電球、テプラやプリンタのカートリッジ、コーヒーのフィルター、キッチンペーパーなどなど。これらがイザという時に無いという経験はないだろうか?それに備えて予備があれば、仕事の流れを邪魔されずに済む。

「よく使うモノ」については、普段持ち歩いているモノ、例えば、僕ならよく使う文房具。これは仕事場や自宅や出先で使うことになる。気をつけて持ち歩けば同じものを買う必要はない。しかし、これがなかなか難しい。バッグに入れたと思ったら、出先で自宅に忘れたことに気がつく。自宅で使おうかと思えば、仕事場に忘れたことに気がつく。それを防ぐために好きな文房具を、自宅用、仕事場用、バッグ用(出先用)で同じものを買って用意しておくのだ。そうしておけばば、使いたい時にいつでも使える。一安心。

以上のことは、人生においても大きな影響もない、どうでもいいようにも思える。つまり「ちいさなこと」かもしれない。でも、考えてほしい、生活や仕事の大部分は「ちいさなこと」の積み重ねではないか。そう考えると「ちいさなこと」を考えるのは人生を考えることだといえないか。このことは今後の本コラムの共通のテーマになると思う。つまり、ちいさな話が連載されて行く訳ですよ。

あなたも「同じものを持つこと」を意識していたらどうだろう。やり方はとっても簡単。買うときに2つレジに持っていくか、ネットでの注文の数量を「2個」にするだけ。簡単でしょう?人生のヒントはいつも簡単。でも、実行しないと意味がない。僕は最近、よく使う700円程度筆記具を同じのを自宅用、仕事場用、持ち歩き用に購入した。このこのとで気分がスッキリしている。

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)
 


 

 

 

| | TrackBack (0)

より以前の記事一覧