映画コラム「ワールド・ウォーZ」

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映画コラム
「ワールド・ウォーZ」(封切作品)

昔のゾンビ(リビング・デッド)は走らなかった。

最近は走るようだ。ゾンビも忙しいのだろうか。

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元祖:ロメロ作品のゾンビの話。
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ジョージ・A・ロメロ作品(代表作:"Dawn of the Dead")のゾンビは走らなかった。僕は思うにロメロのゾンビは「病原菌」が実体化したイメージだと思う。そして、ストーリーは「人間対ゾンビ」ではなく、「人間対人間対ゾンビ」という構造がある。

ゾンビに人間たちは一枚岩になって立ち向かう訳ではない。善良な人間もいるし、利己的な人間もいる。人間はゾンビよりも、人間同士の争いによって自滅していくのではないか、というのがロメロのテーマであり、描きたいところだと思う。

ゾンビ単体は決して強い存在ではない。動きはスローだし、単純な柵も突破できないし、水も渡ることができない。しかし、頭を破壊しない限り不死身であるのと、噛まれた人間をソンビにする、という実に実に消極的な特徴が人間を追いつめていく。ロメロのシナリオの中心はゾンビとの「戦争」ではない、「状況」であり、そして「人間たち」である。

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本作:ブラッド・ピットの「ワールド・ウォーZ」
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本作のプロデューサーは主演のブラッド・ピット。そして、本作でソンビは走る。走る。走る。「走る」ことによって、もはやロメロのゾンビのような「静かに忍び寄る病原体」ではなく、「無差別殺人鬼」。消極的な存在から積極的な存在へのシフト、これは映画全体の性質を変えてしまっている。ゾンビはもう、明確な絶対悪であり無敵。凄まじいスピードで人類を抹殺していく。立ち向かう唯一のヒーロー、ブラッド・ピット。彼に活動的なヒロインはいらない。自分の帰りを待つ妻(子)がいればいい。

この作品は「ブラッド・ピット対世界中のゾンビ」という意味の「(ブラピの)世界戦争」なのだ。彼はほかの主演作品よりずっと「控えめふうなキャラクター」を全力で演じていく。映画カメラは彼から離れることはない。なぜなら本作では彼以外をカメラに捉える配役はいないから。チョイ役+アルファ的な配役ばかりだ。観客はブラピだけを観ていれば他の役を全部忘れても不都合はない。

無敵とも思えるゾンビの攻撃をかわしながら世界中を動き(移動は飛行機)ゾンビと戦うブラッド・ピット。彼はゾンビ最大の天敵。そんな彼一番の目的は自分の家族を守るため!という朝ごはんもつくるブラッド・ピットの大活躍を楽しめる映画だと思う。

最後にわかりやすい3行感想。
リビングデッド映画の定石を押さて、迫力ゾンビの暴れシーン。単純なストーリーを飽きさせない舞台の変化と微妙に予測を外す展開。オチもある。ブラッド・ピットが嫌いでなければ、誰と観ても気まずくならない娯楽作品だと思うぞ。

Text by Shinichi Ishikawa (NUMERO DEUX)




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映画レビュー「オブリビオン」

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▼映画レビュー
 

「オブリビオン」(封切作品)



あらすじ:エイリアンの襲撃を受けた未来の地球。人類は他の星に移住。無人の廃墟の地球で主人公(トム・クルーズ)は女性パートーナーと管理的仕事をしている。そんな中、事件が起こり、主人公の運命は変わっていく。


--- あいまいに生きることの大切さ。

だって、本当のところは誰もわからないでしょう。---



ふと、自分は「なんのため」に生きているか考える。答えは出ない。でも、僕は生きている。つまり、実は生きるのに理由はいらないのだ。生きるのに理由がいらないなら、死ぬのも理由はいらないのかな、と考えることもある。

A.トムの冒険

 トム・クルーズの新作はSF。ストーリーは内向的。キャストも最小限で、序盤などトムばっかりのプロモヴィデオ状態。だが、トムの乗るオシャレな飛行マシンや、やたら暴れる無人ポッドさんが、娯楽作にしてくれてる。そのため良い意味で内向アート映画になることを食い止めている。本当は、アクションシーンはなくても本作は成立するのだけどストーリーが前に出すぎると、「何で今さら」という批判が発生しそうな話なのだ。配役も、キラキラなメジャー感たっぷりのトム・クルーズ。さらに、確実な保険としてのモーガン・フリーマン。

B.トムのお話。

なぜ、ストーリーが前に出てはダメなのか?それは、内容がなんともシンプルだから。まぁ、それに文句はいえない感じなのだけど、ほめることもできない、そんな微妙感が頭にまとわりつく。フワフワなストーリーの中に、実にキレイな美術セット、アクションシーンを織り交ぜて、そこで作品の完成度をつなぎとめている。そのバランスが本作の妙味であり、独創性というよりもパッケージングがうまい作品だと思う。

C.トムの生き方

生きることに絶対的な理由を求めることができない。それをあえて求めると理由がみつからず逆に死にたくなってしまう。生きる理由とは実際には、さまざまな気持の複合体であり、かつ極めて流動的だといえる。つまり、生きる理由にはベースとして、「とりあえず生きてみる」という曖昧さが僕が一番大事かと思う。なぜかといえば、自分の知っていること、他人が言っていることが、すべてとは限らないから。

本作のトム・クルーズも廃墟の地球にオアシスを見いだし、「地球っていいよね」という気持からスタートしている。そこが大事だと思う。みんな適当(テキトー!)に生きようよ。真理なんて考えないでさ。

Text by Shinichi ishikawa(NUMERO DEUX)

 

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映画コラム「アルゴ」

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「アルゴ」(封切作品)

あらすじ
実話をもとにした作品。1979年イランにて米大使館が過激派に占拠される。かろうじて脱出した大使館スタッフ6人は、潜伏するが命を狙われる状態。彼らを出国させるためにCIAは架空の映画をでっちあげて大使館スタッフを映画スタッフとして出国させる奇想天外な計画を実行する。




▼ 映像ではなく、行間からにじむ躍動感。


「ロケハン」という用語がある。意味は映画の撮影等のための下見や調査のこと。

本作の宣伝文句で「映画をでっちあげての救出作戦」というふうの説明がピンとこなかったのだけど、実際には架空の映画の「ロケハン」をでっちあげるというものです。つまり、出国する時空港で米国大使館スタッフとわかると過激派に拉致されしまう。そのため職業の偽装が必要になった。でも、当時のイランは外国人がいること自体が非常に限られたことで、職業を偽装するのは難しかった。

そこCIAが考えたのが「アルゴ」というSF映画のでっちあげ。その撮影に必要な砂漠等の特殊な環境をロケハンにきた「カナダ人映画スタッフ」という偽装。つまり本作戦は、空港から無事飛行機に乗り込むための身分偽装だけで、じっさいに映画作ったりする訳ではない。作戦自体は地味でシンプル。でも、作戦にリアリティを出すためにハリウッドに事務所を作って記者会見もして映画専門誌に記事をかかせる、という偽装ぶりはなかなかすごい。

映画全体は派手なアクションがある訳はないので、地味な印象。だが、冒頭のドキュメンタリータッチの映像や当時の雰囲気を再現するためにファッションやセットに気をつかっている部分はとてもいい。ここで少しでも2013年の今を思わせるモノが見えたりすると、一気に興ざめ。30年前は、決して短い年月ではない。

話もテンポもよく進む。さりげない会話の内容が後の重要なシーンの伏線になっていることも多く、よく考えられたシナリオになっているなぁ、と感心する。

人質の6人は、それほどキャラを立てないことで、逆にCAIのベン・アフレック、その上司、人質をかくまうカナダ人大使、そして、ハリウッドの2人の作戦行動にファーカスされていて緊張感が維持されていく。この割り切りかたもうまい。ふつうなら人質6人の心情というのもっと表現するのが考えられるけど、それ自体は作戦の正否には直接関係ないし、作戦実行のタイムラインが悪くなると考えて、バッサリ切ったのかと思う。同時にイランの動きも特に大きなドラマを用意しないので、とにかく観客はベン・アフレックの作戦行動に感情移入する形になっていて、わかりやすく映画に集中できる。

実話をベースとはいえ、いかにも映画的なハラハラ、ドキドキな部分はフィクションだと思う。よくある感、ありがち感がよい意味で機能しており、マイナスイメージにつながらない。それは細部までこだわって作っているからだと思う。また、シリアスな内容の中にユーモアもちりばめていて、これもパターンながら素敵に反映されている。

ラストがわかっている作品をダレさせないために、基本的な工夫を積み重ねた作品であり、同時に幅広い客層に受け入れられるつくりになっていると思う。 現に僕が劇場で観た時、年配の夫婦のような方々もきていた。たしかに自分の両親が観ても楽しめる作品だなと感じた。

アート的な感覚で作った作品も好きだが、「アルゴ」のような地味ながら、定石を積み重ねた作品もいい。加えて映画館で観て良かったなと思った。もちろん、DVDでも十分楽しめる作品だと思うけど、派手なシーンがないゆえに大画面で観たい映画。作品はシンプルでダイナミック。そこが監督ベン・アフレックの手腕なのですかね。こういった映画がもっと作られることが映画館に足を運ぶ人は増えるような気がした。ラストで驚かせるばかりが映画ではないし、非現実な特殊効果がなくても魅力的な映像が作れるのが再認識。

ほめてばっかりなんで短所と考える(考えれる)ところも書きましょうか。まぁ、まず作品自体、地味であるし、史実ベースなんでラストもわかっている。では、忠実なドキメンタリーかといえば、明らかな映画的な脚色もかなりある。本作を純然たるフィクションと考えると、ヒネりがないなぁ、と思うので「実話ベース」というのも本作に極めて重要な要素、というか不可欠要素になっていると感じる。そうなると、とってもあやういバランスで成功している作品であり、アカデミー受賞とはいえ、監督ベン・アフレックの手腕を計るには、まだ足りないと考えるところだろう。

Text by 石川 伸一(NUMERO DEUX)

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映画を考える「007 スカイフォール」(13.01.03)

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映画を考える"007 スカイフォール" (封切作品)
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※以下ストーリーの核心もふれるのでご注意ください。


「本作は最高傑作?。それは、
  50周年記念のコピーの一部かな」

007シリーズは、ヒーローの普遍性と、そうでない部分を示してくれる。悪役については、あいまいだけどね。

まぁ、今回の敵役、元M16のハッカー系諜報部員というのは新味はない。ただ、そこは俳優ハビエル・バルデムの魅力で最後まで見せてくれるし、歪んだMへの想い、ボンドにもつながる諜報部員の宿命というテーマも見えるので、薄っぺらくはなっていない。

007において現代の敵役の不在、というのは問題。近作では「麻薬王」とかあったけど、それは007の宿敵にはイメージが違う気がする。僕はいっそのこと今のリアル路線で過去シリーズの「スペクター」のような絶対悪の組織が登場すると、おもしろい。いいアイディアなのでは。現代のリアルな継続的「絶対悪集団」を描く方法はあるかと思う。

話を「スカイフォール」に戻そう。冒頭、迫力のアクションシーンからボンドの死?というフックでお客さんを惹きつけつつ、話はゆるやかになる。ボンドは大丈夫かしら?というところから、ボンドの復活、明らかになる敵の正体、スパイ不適格者ボンドというシリアスなところを少しひっぱって、お約束のパーティシーン。軍艦島から一気にいつものヒーロー007にターンするところは気持ちいい。

さらなる後半の籠城劇はビックリ。イギリス田舎でのアクションからラストの教会までの流れは、ちよっと幻想的で悪くない。だが、これが007なの?という疑問は残るけどね。

そんな変則感はありつつも、本作は50周年記念作品というところから、手堅く作っていて、冒頭のアクションシーンからお客さんの期待を裏切らない。007のキャラクターも従来のボンドぽいユーモアも持たせている。でも、ボンドガールは地味。それはそれで賛成。

総論。結局、必死に守ったMも死んでしまうのはイギリスの映画だな、という感じがした。新しいM、Q、マネーぺニーが、凄く活動的なキャラ設定の伏線があるので、次作にすごく新風を起こしてくれる予感。そこが今から楽しみ。ただ、あくまで007が個人のヒーローなんで、あんまり新しいMらとチームプレイが強くなるのは避けてほしい。スパイスな役回りをしてくれたらいいかと思った。

007シリーズは続いて欲しいと思う。
時代を考察するのに優れた資料のひとつだから。

Text by Shinichi Ishikawa(NUEMRO DEUX)

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映画レビュー「マルドゥック・スクランブル 排気

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●「マルドゥック・スクランブル 排気」(封切作品)

まず、自分の立場から。僕はアニメしか観ていません。


3部作の最終作。つまり、クライマックス〜ラスト。
そんな気負いは作品全体からが感じられない。


前作で、終わりと思ったカジノのシーンが続くのは驚く。クライマックスなのに、そんなことしていていいの?という感じ。全体を通して振り返ると、なかなか良いシーン。あえて、難をいうならこのシーンは、比較論でいけばアニメーションより、小説のほうがしっくりくる気はした。

最終決戦に備えて、主人公の心を整理していく場面。カラフルな映像とカジノという華やかな中で、もっと動きがあっても良かったかな。回想シーンに飛ばすとか。まぁ、それも小手先っぽい気もするので、結果的に地味になったけど、良い場面かと思う。ゲームを通して生き方を考える。ベタではあるが核心。


ラストのバトルは、意外にアッサリなのはいい。この控えな目なところが、本作に余韻をあたえている。主人公にとっては、戦いは 仕事でも、楽しみでもないからね。勝つか、負けるか別として、もう、彼女にとって、敵役はとても小さい存在に見えたのではないだろうか?


3部作を通して振り返ると、派手なシーンや意外な展開は思ったより少ない。一度、人生を失った主人公の再生の話として捉えれば、本作の魅力よりわかるかなと思う。動的より静的な場面で印象に残る作品だった。最後にひとことだけ、今回のチラシのデザインはいまひとつだと思う。

Text Shinichi Ishikawa / NUMERO DEUX

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映画レビュー「プロメテウス」。変らないコト。

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映画レビュー
「プロメテウス」(封切作品)

● メカニック、エイリアン、最後は浅い人間。

「エイリアン」から、30年。
さて、リドリー・スコットは、どうくるか?とワクワクしていたら、まったく変ってなかった。そのセンスのすべてが。

オリジナルの続編なんだから、それはそうかもしれないが、
妙に嬉しい。変らないのが評価されない今日。本作は変らないのが美しい、監督の内面で純粋培養された映画。

そこまで、リドリースコットが考えていたかは、わからかない。
少なくても30年のギャップを埋めるために、変な小細工はしなかった。最新のCG技術を駆使しながら、30年前のセンスを映像化している。

プロメテスウス号がエンジニアの惑星に着陸。
そこから、捜索隊の車両が出て行く。そのシーンですべてを了解。とってもいい。洞窟を自動でマッピングしていく、赤く光る装置もいい。そのあたりを楽しむのが正解。あと、医療マシン。

要するにメカニックデザイン(当然、アンドロイドを含む)。
を主軸として、お約束の人物ドラマがすすむ。
エイリアン・シリーズにおいて、結局は人間は脇役。
主役は、メカニック、そして闇にうごめくエイリアン達。

大事なことだから、繰り返そう、
素敵なメカニック、登場人物の(浅い)思惑、そしてエイリアンの活躍。この3つがあればいい。

本作から、エイリアン・シリーズを知ったなら、過去作品にさかのぼるのもおすすめ。
オリジナルから、ジェームズ・キャメロンの「2」。デビッド・フィンチャーの「3」。そして、ジャン・ピエール・ジュネ「4」。それぞれ味わいがある。

息抜きに「エイリアン対プレデター」もいいよ。

Text Shinichi Ishikawa / NUMERO DEUX

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映画コラム「ダークナイト ライジング」 なんとも殺伐感。

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「ダークナイト ライジング」(封切作品)

Story:クリストファー・ノーマン監督によるバットマン3作目。前作ジョーカーとの戦いから8年。コッサムシティは平和な街となっていた。そこに新たな敵が現れる。

※注意;以下、具体的な内容に触れます。

「伝説が 終わる」なんて思わせぶりなコピー&ビジュアルで、どんな新鮮な切り口で今回来るのか僕はワクワクしておりました。しかし、サラリと裏切られました。おおまかな流れは「新たな悪人登場→対決」という基本フォーマットは従前どおり。少し騙された感はあります。

オープニングの今回の悪人紹介的な飛行機の壮絶なシーン、ひとつの見所でありますし、ノーラン監督版「バットマン」の持ち味である殺伐感が相変わらず。悪人の徹底的にドライな悪人ぶりと、部下にも徹底したストイックな悪人ぶりには頭が下がる思い。正直、このあたりから、僕の頭の中は「なんだかなー」という気分でとなる。

バットマンの味方、執事のアルフレッド。ノーマン版はまさかのマイケル・ケインが演じていて、バートン版とは違う強い存在感があって僕は好きです。ウェインとのやりとりはさすが名優という感じ。しっかし、今回が一方的な退職届のような感じでフェードアウト。これはきっとラスト近くに、バットマンを助けに来るのか!とワクワクしていたら、そんなことはなかった…。

これも実にノーマンらしい、殺伐としたリアリズムだと思うのだけど、なんかさ結局、コウモリコスプレのヒーローの話なんだから、もっと娯楽のニーズに答えてよ!思う。アルフレッドは結局、ラストにそれなりに大切な役回りで登場しますが、僕はもっと直接的にバットマンをバックアップする役で出て欲しかった。数少ない身内の味方なんだから。そのあたりのヒーローに対する徹底した孤独の演出は監督の狙いだとは思うのだけど、厳しすぎるよ!ノーマン先生!という感じ。

敵役ベイン。実に殺伐とした悪人。前作ジョーカーにも通じる。でも、ジョーカーで打ち止めで良かったでしょう。殺伐すぎて観るのも嫌になってきます。ラスト近くに出てくる「人間らしい心もあります!」的なエピソード披露も、別の悪役との関係上作った感じ。そういう心があるなら、都市全滅させるような思想に傾くなと思う。まぁ、それは渡辺謙さんのグループの思想もよくわからなかった訳でありまして。ベインの最後ももうちよっとキチッとあったほうが観る側がカルシタスもあったかと思います。あれ、死んだの?という感じ。冷たいよなぁノーラン。

アン・ハサウェイのキャット・ウーマンは好き。理由はアン・ハサウェイが好きだから。それだけ。ゲイリー・オールドマンのゴードン部長刑事が頑張っている感じは良かった。アクション作品では、悪役な印象の俳優さんだけど本作では自分の信念にゆらぎながら行動していくのが感情移入しやすい。裏主人公な感じがしました。それとは逆に今回のモーガン・フリーマンは「飾り」だよなぁ、いや「記号」か?ワンシーンでいいので活躍シーンが欲しかった。ニヤリとさせる場面をね。副部長役のマシュー・モディーンのアッサリな死に際にまた暗い気分になりました。悪役以外にも容赦のないノーラン監督。トホホ。

バットマンが初登場のシーンはね、カッコ良かった。あのバイクはいい感じ。ゾクゾクした。ほかのアクションはね、ストイックにひたすら殴り合っている感じ。バットマン、秘密兵器使おうよ、と思うし、だんだん「この映画、バットマンでなくていいのでは?」と思ってくる訳ですよ。ウィーンと飛ぶバットマンの飛行マシンは好き。ミサイルを避けるシーンは長過ぎだけど、なんか安心して観られる見せ場ではありました。本作では貴重。

バットマン、一旦負けまして穴ぼこの刑務所みたなところで入れられます。そこはなんと、よじ登れれば脱出できるという素敵特典があるのですが、いろいろ苦労します。この場所は悪役の生い立ちにもリンクしていて意味はいろいろとあると思いますが、悪役のあまりの殺伐さにスッと心に入ってこない。主人公の再生もピンとこない感じで、僕には単なる、バットマン再登場の時間調整にしか感じられませんでした。

ラストのアッサリ加減にショック。それなら、バットマン抜きでやれたんじゃない、と思う。国の特殊部隊や軍隊も動いていた訳ですから。

結論。ノーマンが作りあげた現実感の強いシリアス志向のバットマンという表現は、それは素晴らしいのですが、僕には殺伐しすぎてこの3作目でもう限界という感じです。本作のラストは、かなりにモロに続編を感じさせるものだったので、このティストでまたバットマンはツライなぁ。ノーマン監督って、殺伐を狙うというより殺伐しか作れないという感じではないでしょうか。

僕はティム・バートンのバットマン「1」「2」が好きです。主人公のシリアス具合は、僕はバートン版でも、ノーマン版でも変らないと思っています。主人公の孤独もね。でも、バートン版が、そこをファンタジーぽいセットやメカニック、ブラックユーモアも織り交ぜて、娯楽作品としてバランスをとっていると思う。ジョーカーも僕はバートン版のジャック・ニコルソンの方が好き。ヒースのジョーカーも良いと思うけど、バットマンと対決するという部分だとなんか違う感じがする。バットマンって、ベースはコウモリ男のコスプレ合戦なんだから、そこを考えて欲しい。ヒースの悪人ぶりは魅力的だけど、バットマンの基本世界観とはマッチしてないような気がする。

あと、ノーマン版はユーモアの欠けた、ひたするひたすらブラックなだけの内容。いくらうまいブラック・コーヒーもそれだけ飲み続けるのは僕にはシンドイ。時には上質のクリームを入れたり、ケーキが欲しい訳ですよ。ブルーベリータルトとかモンブランンとか。でも、ノーマン監督の作品は、「上質の豆ならばコーヒーだけで十分!」という理屈は通るのだけど、それだけではツライと思います

殺伐でツライ、ツライと散々書きましたが観ている時は退屈はしませんでしたよ本作。とってつけたようフォローですいませんが、ホントです。見せ場は随所にありますから。でも、違和感があるんですよね。これは作風の好みの問題かと思う。続編は観に行くと思う。変るから変ってないか確認したいから。

 

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映画コラム「ラム・ダイアリー」 

Rumdiary

映画コラム
「ラム・ダイアリー」(封切作品)

※Story:主人公(ジョニーデップ)は売れない小説家志望。ジャーナリストでアル中の女好き。職を求めてプエルトリコに行く。就職先は潰れそうでヤル気のない新聞社。島との出会いの中で、ヒロインと島の生活を乱す陰謀に主人公は対面する。

●オフビート失敗。その失敗こそ、まさに「オフビート」。

 「オフビート映画」という表現がある。意味としては、起承転結がビシッとしてなくて、なんとなく流れていくような映画という感じだろうか。そして、ティストとしてはユーモアが必要かと思う。

つまり、オフビート映画とは、「なんともゆるい映画」と僕は解釈している。パッと思い浮かぶのはコーエンの「ビッグ・リボウスキ」かしら。

本作は、主演のジョニーデップも制作にクレジットされている。さまざまな作風に挑戦する役者だから、オフビートものにトライということだろうか。そうだよね。「バイレーツ・オブ・カラビアン」みたいな作品ばっかりだと飽きるでしょね。

さてさて、その結果は。まず、やっぱりねージョニーはスターだと思うのですよ。あたり前にハリウッドスター。しかも、基本主役クラス。するとスター臭というか、ヒーローの後光がある。そのため「ヒーローとしての行動」を観る側としてはなんか期待してしまう。本作は役も「ジャーナリスト」ですから、なおさらなんですよね。ダメダメな感じだけど、最後はキメるぜ、という期待。それがデップは似合うしね。ダメダメ演技も結構できるから。

でも、それがずっとダメダメだと、なんか観る側としては、不満が残る訳ですよ。彼はスターだし、かつ作中では不正を知ったジャーナリストだから。もう、リーチでしょう。

キャラの弱い役者だったら、ダメさ加減を愛せるんだけど、ジョニーデップの場合がヤレば絶対できるし、成功するじゃん!というタイプなのにやれない(やらない)という部分が不満を引き起こす。やればできるヤツがやらないと腹が立つ。オフビートに必要なのは、ヤル気があってもヤレないやつ。そこが大事。

本作は、実話ベースなんで、アレンジの限界はある訳だけど、最後にカルシタスをもたらすラストも十分可能だったのに、やっていない。あえてやってない。そこが制作にも関与しているデップのこだわりではないかな、と思う。そのこだわりは表現としてはブレなく筋を通しているの立派なんだけど、観客としては少々残念な作品になっている。それはなんとも、彼のスター性が邪魔をしているのだ。

ホントは、主人公がジャーナリストという設定でない作品なら、もしかしたら、オフビート感を不満なく出せたかもしれない。でも、そこはあえて、この職業の主人公でオフビート作品にしたのは、またまたマニアックなこだわりなんだろうなぁ。

なんというか、ラストがわかった2度目のほうが楽しめると思う。主人公の「仕事」(使命)というのはヨコに置いて、「ひとりの男のプエルトリコのダラダラ日記」というワクで考えると、この地の政治的特殊性や、島々の生活風景とあわせて楽しめるだろうなぁ。

よく考えると、ジョニーデップの本作でのオフビートへの失敗が、まさにオフビートなのかな。









 

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映画コラム「ドライヴ」

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映画コラム
「ドライヴ」(封切作品)

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※あらすじ 主人公は表向きはさえない車工場で働きつつ、実は裏では犯罪者を車で逃がすドライブのプロ。孤独な生活の中で、ふとしたことから人妻に恋することになり、それが彼の運命を大きく変えることになる。

▼ これは文系男子の夢映画。

映画がはじまる。冒頭シーンは大事。映画ジャンルに関係なく観客に対する「つかみ」だと思う。極論すれば「つかみ」が良ければ、すべてよし、まではいかなくても、かなりいい。本作のつかみは素晴らしいのが2点。ひとつは画像が美しいこと、もうひとつは主人公の「仕事」や性格についてキチン表現していること。

前者は、夜の街を「逃がしのプロ」である主人公がドライヴする。夜のシーンが美しく、かつスリルがある。壮絶なカーチェイスを予想していたら、それは軽く裏切られる。主人公の冷静な目は、やみくもにアクセルは踏まない。時にはそっと、ヘッドライトを消して大きなトラックの物陰に駐車しパトカーをやり過ごす。警察のヘリが来れば、上からの死角の多いところに逃げ込み姿をくらます。

仕事を終えると暗いアパートに戻る…生活はあくまで地味な感じ。カッコいい!カッコいいよ主人公。犯罪者だけど、美学があり、暴力的ではなくて、ストイックな生活。そして孤独。これら描写は僕のような文系男子映画ファンの心をしっかりつかむ。惚れるよなぁ、こういう主人公。みんな好きでしょう。

そこから、近所の人妻に惹かれるシーンも、実にテンポよく進んでいく。このあたりも自然。本作の監督は映画の定石を凄く理解していて、その模範解答をベースに映像作っているように思える。そのため展開が実にわかりやすい。スッと頭に入る。キャラクター設定もそうだ。裏の顔を持つクールで孤独な主人公。ヒロインは、親しみやすい可愛らしい感じ。そして、主人公に敵対する悪人はあくまで徹底的な悪人。実のわかりやすい構図。

本作の難点をあえていうなら、手堅い感じで構成される結果、それなりの予算で作った作品だとは思うのだけど、全体的に趣味のいい「小作品」で終わった印象がある。サウンドトラックも意図的だとは思うのだけど、80年代的なシンセのような音を使っていて、その年代に量産されていたようなアクション作品を連想させる。

映画館というよりテレビで休日の昼下がりの半端な時間、または深夜にひっそりと解説もなく流れていた映画の雰囲気。それは愛すべき味わいはあるが、ダイナミックなスケール感には欠ける。そこを人によってはつまらなく感じかもしれないし、ラストも予想の範囲流れである。あと、バイオレンスの激しさも苦手の人もいるかも。本作はアート系の香りのする犯罪者ドラマという感じかなぁ。

後半がものすごくバイオレンス風味で逆にリアリティに欠けるのも本作の良さだと思う。だって、あんまりバイオレスが現実的だと、逆に感情移入しづらい。本作が文系男子にひとつの夢を表現したファンタジー作品だと考えることもできるから。だから、本作の悪人は徹底的に悪人。主人公に対する完璧な悪人ではないといけないだ。

孤独でクールな主人公が、美人というより可愛らしい女性に恋をして、その結果バイオレンスに溺れていく。「ドライヴ」は僕のような文系男子の妄想にピッタリなのである。それをふまえつつ、美しい画像と、主人公の美学を味わって欲しい。

 

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映画コラム「ドラゴン・タトゥーの女」

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「ドラゴン・タトゥーの女」 (封切作品)

/ THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO

●フィンチャー節あり。

えーと、僕がデヴィッド・フィンチャーで観た作品いえば「セブン」(テレビで…)。あと、「ファイトクラブ」(レンタルで…)ぐらいか。「ファイトクラブ」はかなり好きだよ。ブラピも良かったし、エドワード・ノートン好きだし。

そうそう、「エイリアン3」も、この監督なんだよね。最初は知らなくて。僕は「エイリアン」シリーズは好きなんですが、フィンチャーの「エイリアン3」は一番しっくりこなかった。VHSを持っていたのですが一回観て放っとおいた。なぜかといえば、その時、僕はキャメロンみたいなノリを期待していたかもしれない。

のちのちフィンチャー作品として意識しながら、観るとそれほど悪くない。ただ、シリーズで一番大予算を組んだ作品と知れば、やはり他の2作よりは劣っていると思う。ここだ!いうシーンが思い出せない。まぁ、3作目でどれだけオリジナリティを出すか、というのはキツイテーマだと思う。その点おおきなハンデがあったといえる。

前置き長すぎでしたね。本作はおもしろかったですよ。長いけど退屈しなかったし。印象としてはいい感じでハリウッド映画だなーということ。観る前は158分という上映時間から文芸作品みたいかなーと思った。でも、実はしっかりエンターティメント。タルコフスキーみたいな長回しでじっくりなんてシーンはありません。しかし、グロなシーンはあるので注意。

サスペンスのストーリーを実にサクサクした編集で進行していきます。サクサクすぎて、油断すると振り落とされるジェットコースタームービー。ラスト近く僕少しは放り投げられました僕はなんとか空中で一回転してなんとかコースターに戻った。でも記憶が少し抜けました。

テンポがいいのは下手すると、それだけでドラマが無味乾燥になる可能性がある。そのギリギリのところで、人物の感情の動き伝えているのがフィンチャー節だなぁ、と思いました。

普通の監督なら、大金持一族が出る映画というと、品のいい顔の裏にあるドロドロした部分を抽象的だったり、比喩としてのシーンを出しそうですが、フィンチャーはひたすらMTV的にサクサク進行させます。そのスピード感が監督の意図したものだとすると、オープニングのド派手なタイトルも理解できる。スウェーデンの平和な光景が退屈に感じてくると、ちゃんとセンセーショナルな場面も同時平行で観せるのが、良い意味でハッタリが効いてる。その辺のサービスが効きすぎてて、サスペンスとしてのラストはやや拍子抜け。それでも、おもしろかったからいいか、と楽しく許せる作品ではありました。


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