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映画コラム/男のヒーロー。

Sm

FilmReview 「スーパーマグナム」(1985)

  男子にはヒーローが必要である。
味わい深いヒーローが。そうとくれば僕はポール・カージーである。全国に賛成者は文系の冴えない男子を中心に100万人いるに違いない。週末、ひとりパソコンにむかいながら…生協で買ったおせんべいを食べるよ。

 ポール・カージーとは名優チャールズ・ブロンソン演じる映画「DEATH WISH」(原題)シリーズの主人公で、僕のヒーローである。カージーはもともとはニューヨークで設計士をしていて、愛する妻と娘がいる暴力とは無縁の生活を送っているニューヨーカーでした(ブロンソンって、それっぽくみえないけど)。しかし、1作目「狼よさらば」(邦題)で、妻を殺され、娘はレイプされ植物状態に。警察もあてにはできず、設計士から拳銃を握る復讐の男に変貌していく。派手なアクションよりも、その変貌の過程がリアル作品だった。実行する時はドキドキしたりね。次作「ロサンゼルス」を経て3作目が本作。

 本作になると、なんだか1作目にあった世の中の理不尽に狂気を持って対抗する主人公というフォーカスがなくなっきて「ひたすら悪人を撃ち殺す仕事人」的キゃラクターとしてカージーが登場する。一応、古くからの友人を殺された復讐というストーリーはあるものの、それはキッカケとして軽く流されている感じ。話としてはストリートギャング団によって無法地帯と化した町をとり返すためカージーは立ちあがる。その方法が通販で買った(?)44マグナムのオートマチック拳銃「44オートマグ」でギャングを打ちまくるという大変シンプルな方法。

 拳銃やサブマシンガンを持ってるギャング団(後でバイク軍団も加勢)を、ひとりで立ち向かうのはまったくリアリティはゼロなのだけど、革ジャンを着込み、マグナムをゆっくりと構えてギャングを撃ち殺す(当然、その間のギャングの発砲は一発も当たらず)カージーの貫禄たっぷりの演技を、逆説的なリアリティによって「嘘の世界の強力なリアリティ」を与えてしまうのが不思議だ。それが、ブロンソンの魅力なんだろうな。本作は彼がいないとまったく成り立たない。

 ヒロインとの大人な一夜の過ごし方も素敵なんだよなぁ。なぜかヤル気まんまんな知性的な美女に自宅に夕食を誘われたのに「遅いから、そろそろ帰るよ」なんてあっさり言うなんて、まさに男の中の男。そこでまたヒロインが燃え上がる訳です。悪人はひたすら悪人で罪悪感の必要ありません。悪役は悪人というより更正不可な異常者な感じて、殺すしかありません。オールクリアーです。

 しっかし、よく考えるとカージーに都合の良いことばっかりなんだけど…それはいわない約束でしょう。本作はシリーズを重ねることごとにリアリティがなくなったというけど、主人公が殺人に対して単なる「業務」のようになっていくのは、ある意味リアルなんじゃないかなぁ、と思ったり。考えすぎかしら。

 



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