時間よ止まれ
時間は計れるものだろうか?
時間というのは 冷酷無情の親方といわれる。まけてもくれない、貯金もできないもの。すべては数字で計算できる。もの凄くデジタル。ゼロ&ワン。
ただ時間を消費する人間というのは途方もなくアナログな訳だから、時間だけを切り取って考えることはあまり意味はない。世の中のほとんどのことは時間につながっている。だから、時間を考えることは、すべてを考えることなのだ。
時間と、自分と他者の3点セットで考えるのが大切だと思う。ところが、3点どころか、自分は時間についてあまり考えていないことに気がつく。生活の中で時間こそ、もっとも大切なものなんだけど、ただ漠然と消費しているだけである。これが、お金なら、財布の中身や、口座残高を見て反省することもある。が、時間というのは、もちろん日々の断片の中では反省することはあるが、それをキチンと考える機会を作っていない。
自分の行動の選択肢が少ないような時代はいいと思う。ただ、歳を重ねるごとに生活が複雑になっていって、精神、肉体、いくつかの環境(ステージ)のバランスを絶妙に取る必要になってくる。ひとつが立てば、ひとつが立たなくてもオッケーという訳にもいかなくなる。複数のプランが成立するように日々を重ねなければならない。
結構、前から一週間に1回は1時間程度、自分の時間について考える時間を作るつもりなのだが、できていない。カフェでぼけ〜とチーズケーキを食べている時間をもっとマジメに使うことしなければ、と思うのである。