ありがた迷惑なのか。
Film Review「たそがれ清兵衛」
「チャンスをつかまない人生」
(あらすじ) 清兵衛(真田広之)はある地方の藩の下級武士。普段は食料を管理する仕事をしている。妻に先だたれ、幼い子供2人と痴呆が進んだ祖母の世話のため家計は大変苦しい。家に帰れば家事から、内職や農作業もしないと生活ができない。そんな中、幼なじみの女性との再会、果たし合いの代理をすることによって、彼の人生が変わっていく…
時代劇でありながら、チャンバラのシーンはほとんどなし。主人公も貧しい生活ながらに、子供の成長を楽しみ、内職や農業を行なうシーンばかりが目につく。主人公は幸せだったのか、そうじゃなかったのか、さっぱりわからない映画である。いや、幸せではないと思う。
いわゆる、カルシタスが不在であり、ラストの「ある事件」というクライマックスが用意されているものの、それも主人公にはありがた迷惑のようである。いや十分に迷惑か。きっと主人公にとって、友人も宮沢りえが言い寄ってきても迷惑なのである。それは、妻の葬式を出したときから、わかっていたにちがいない。
本作の主人公は実は「そっとしておいて」欲しかったのだと思う。職場では仕事後の同僚の誘いを断り、家に帰り男手ひとつで家族の面倒を観る。そんな一生でよかったのだ。なのに、美しい女性が表れたり、剣の実力を発揮できるチャンスなど、すべては「迷惑」だったに違いない。そうでなければ、あんなナレーションで流すラストにはならないだろう。
チャンスなんて無用の生き方もあるのだ。チャンスは同時にリスクを伴うものである。リスクの無いチャンスというのは「幸運」であり。チャンスとはいえない。それを理解しないで、チャンスばかりに期待してはいけない。
今自分の手元にあるカードを大事にするのが一番いいのではないか?そんなことを思った。ここまで書くと随分ひねくれた感想だとは思うけど、ひどく主人公がまわりに巻き込まれていくのが、とても可哀想に思えた。きっと主人公はずっと「たそがれ」で良かったと思うよ。そんな生き方も十分あるのだ。