毎日の字間 2013.09.21 「視界に入る植物」
※要するに短めの日記。毎日積み重ねる…頭の中身と行動。
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こんばんは。
日差しを浴びた。植物のように。
今日は午後より札幌の少しはずれになる花屋に行ってみた。なぜ、そこかというとウェブサイトが良さげだったから。自宅では切り花を仕事部屋やリビングに飾っている。植物って効果的なインテリアだと思う。生活空間には「飾る」ものはほとんどない。大きな壁面でもあれば、平面作品でも飾りたいところだが、そのスペースは残念ながらない。だから、切り花。
植物はいい。色彩が自然にマッチする。寿命のあるところもいい。時間の経過があり、はかなくも、そこの実感がある。好みは鮮やかでなくていい。地味がいい。そして、強い感じがいい。なぜ、はかないの??
その花屋までは少し迷った。札幌だが未知の地域。最寄りの地下鉄駅がないところは、いつも未知である。僕は方向音痴ではないが店を見つけるのは下手だ。方向音痴ではないが道を間違える。やはり、方向音痴なのだろう。お店はどこ?
ギリギリの気持ちの中でその花屋は見つかった。男性店主が取り仕切るそのお店は、可愛らしさや、女の子のイメージする「花屋さん」と無縁な感じだった。気取ってもいないお店だった。とり扱っている花器も安くて、シンプルでいい感じ。
考える。自宅の自転車置き場の横にある場所から、雑草を次々と引き抜き、部屋にばらまいたらどうだろうか?楽しいか、悲しいか、無意味なのか、なにかがあるのか。仕事部屋での視界より3分の1だけ入る切り花。その存在感は、僕の心に少しの安定と、生死を考えさせる。植物を止まりながら、枯れて行く。自分は動きながら、時間の経過を受けて行く。その差異はなんだろう。花の命ははかないという。では、自分の死ははかなくないのか。花の特別扱いではないのか。
戻る。自分で組み合わせを決めるのは苦手だ。店主に適当にコーディネイトしてもらう。
「自宅はすぐですか?」「30分くらいですかね。他に用事もあるので帰宅するのは」。そこから3分くらい会話をする。花を紙に包んでもらう。紙の色は段ボールの色。店を出て車の後部座席に切り花をそっと置く。
切り花はそばにある。もう、寝室にいこう。
おやすみなさい。
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