毎日の字間 2013.10.31「困惑の毎日」
こんばんは。
(おはようございます)
「困惑」とういうのは、
「どうしてよいか判断がつかず迷うこと。」という意味(goo辞書より)。まさに!まさに!僕は「困惑」の毎日を過ごしている。困惑する、というより「たまに困惑しない」というのが自分の状態かもしれない。これっていいの。
でも、困惑が普通になった時、それは本来の困惑の意味になるのだろうか?そもそも、僕は何に困惑しているのか?考えるため5分ほどパソコンから離れてみた。
玄関からマンションの廊下に出る。そこから外を眺める。街灯がみえる。寒さを感じて家に戻る。パソコンの前に座る。椅子には僕の体温が残っていた。この行動に意味はないが、困惑はなかった。いや、この行動そのものが困惑を表現しているのか。
(何に自分が「困惑」しているのが、わからなくて「困惑」するのだ)
また、僕にとっては、「困惑」は連続体である。
自分との会話。
「何に困惑しているの?」
「それがわからないから問題なんだ」
僕のとって、困惑とはとってもモヤモヤしたもの。逆説的にいえば、それはただのモヤモヤにすぎない。世の中の大部分はモヤモヤにみえる。
困惑=モヤモヤには拒否ではなく、うまくつき合う方法を考えたい。
なんで、拒否はダメかって?
それは、モヤモヤの正体は自分自身なのだから。
おやすみなさい
(行ってらっしゃい)
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