毎日の字間 2013.11.1「一兆円あれば…」
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こんにちは。
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永遠のテーマ。「一兆円」あったら何に使う?(宝くじの一等がそれくらいにならないかしら)。宝くじは庶民の夢、というけどこの金額はそれを超えている。「賞金」というより「国家予算」というイメージである▼正直、なかなか使い道も考えられない。欲しいものは常にある。アマゾンの欲しいものリストも順調に更新を繰り返している。▼買物とは、必要不可欠なものか、自分のお財布事情を考えて「おっ、今なら買えるぞ」という感じか、まさかの衝動買い、という3パターンかと思う。つまり買物は諸事情の動機(不可欠、衝動を含む)から、動機と行動というプロセスで行われる。この動機プロセスには時には買物の楽しみのかなりの部分が隠されているではないか。例えば「ああ、お金がやっと貯まった買おう」「仕事がひと区切りついてうまくいった。自分のご褒美に」などなど。▼ところが、宝くじで転がり込んだ「1兆円」というのは、「買う決定のプロセス」が抜けてしまう。すると、なぜか買物のテンションも下がる感じもする。もちろん、借金でもあればその返済にあてるのは満足度高いと思うが。▼ここ数年は欲しいものは山ほどあるが「どうしても、欲しいもの」というと考えるようになった。買う前のプロセスだけで満足が結構できる。▼「1兆円」という金額にはさらに買物心を下げるテンションがある感じがするの。▼もちろん、現実に「一兆円」が当たったりしたら、万歳三唱をするだろう。しかし、何かを失うような気持ちにもなるのではないか。その何かがとっても重要だから、不幸なお金持ちというのも存在するのではないだろうか。
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良い週末を。
失礼します。
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